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「C2叡王」心ないコメントに傷ついた将棋棋士の本心「タイトルに申し訳ない…」「たった1つの敗戦で人間は変わる」高見泰地が苦悩した日々
posted2025/04/20 06:02

2018年、初タイトルとなる叡王を獲得した際の高見泰地。ただ当時、順位戦はC級2組所属で、心無いコメントが並んだこともあった
text by

大川慎太郎Shintaro Okawa
photograph by
Kyodo News
羽生戦、期待勝率が86%が16%に
記録係の秒読みの声が自分を責めているように聞こえる。
4勝3敗で迎えた8回戦の羽生善治九段戦の終盤戦で、高見は必死の形相で読みふけっていた。攻めか受けか。自玉に詰みがあれば受けなければいけないが、なければ戦力を補充して勝ちになる。
呻き声が漏れたかもしれない。気持ちの悪い汗が背中を伝っていた気もする。はっきりとは覚えていない。それだけ懸命だった。勝てば5勝3敗と大きな前進になるが、この瞬間は星取りも頭から消えていた。
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40秒、50秒。1分近く考えて、自玉が詰まないような気がした。時間がないので完璧には読み切れないが、培った勝負勘がそう言っていた。
だが、高見は8八の銀を7九に引いて受けに回った。その瞬間、日本将棋連盟モバイル中継の期待勝率は、高見86%から16%に激減した。
痛恨の失着――。
羽生に自玉を安全にしながら攻められて、いつの間にか勝ち目がなくなっていた。それから60手以上粘ったが、次第に高見の指し手に力が入らなくなった。
日付が変わった午前0時9分、高見が頭を下げた。迷った末に受けた局面では、敵陣の香を奪っておけば勝っていたのだ。
伏し目になった高見は小声で回顧し始めた。
「自玉は詰まないような気がしたんですけど、6~7分残っている羽生先生には簡単に詰まされるんじゃないかと疑心暗鬼になったんです。自分に見えていないものが羽生先生には見えているんじゃないかって。結局、震えてしまったんですね。受けずにいきなり詰まされて負けて、はい、終わり。それが怖かった。言葉を選ばないで言うと、相手が羽生先生じゃなかったら踏み込んだ可能性が高いんですよ。だってこれまで棋士として自分の読みを信じて生きてきて、それなりに自信を持っているんです。でもこの時は自分を信じることよりも、羽生先生への信用が上回ってしまった」
たった1つの敗戦で、人間って変わるんだなって
普段なら指せていた手で、勝てていた将棋だった。5勝目をもぎ取っていたはずだった。だが現実は4勝4敗。これで上を見ることは完全にできなくなり、年内を5勝5敗でも厳しいと見ていた高見は苦境に陥った。
「足元がスケルトンになって、谷底がくっきりと見えるような感じでしょうか。相手もみんな強い。残り2勝2敗を取らないとアウトという直感が働くんですけど、2勝2敗って単純計算で5割なんですよ。だから4勝4敗になった瞬間に、50%はセーフだけど、もう50%は落ちると思っている。それからは夢でもうなされるようになりました」
そう言ってから少しの沈黙があり、高見はポツリと漏らした。