プロ野球PRESSBACK NUMBER
「あんな打球見たことない」事故死のトニ・ブランコ…中日時代の仲間が振り返る「伝説の一撃」とナイスガイの素顔「ある日トウモロコシの種を持ってきて…」
text by

渋谷真Makoto Shibutani
photograph byJIJI PRESS
posted2025/04/17 11:02
中日などで活躍したトニ・ブランコ。悲劇的な事故の犠牲になった
落合ドラゴンズ最後の優勝
【優勝決定弾】 2011年10月18日、横浜戦(横浜スタジアム)で落合ドラゴンズは最後の優勝を決めた。3点を追う6回に、起死回生の同点3ランを打ったのがブランコさんだった。
「右中間にたたき込んだんですよ。実は天井直撃弾の試合は、僕が投げていたんです。ベンチの奥で(次の回に備えて)着替えているときに歓声が聞こえてきて……。あんな打球、打った人がいないからルールがわかっていなかった。ホームランになってくれ……って祈ってました。
で、横浜のホームランは僕はスーツで見ていたんです。次の日が名古屋で先発予定。決まればビールかけですが、負けたら僕が決めなきゃいけない。6回は新幹線で移動するかどうか、ギリギリの時間だったんです。もう本当にうれしかった」
ADVERTISEMENT
これが16号。前年の32本から半減したが、故障で3カ月近い離脱があったこと、そしてこのシーズンは「飛ばない統一球」の導入により、超・投高打低だったことを考慮すれば、頼れる4番だったのは間違いない。この一撃の推薦者は当時のエース・吉見一起さんだ。同点のまま引き分け優勝。吉見さんも歓喜のビールかけを堪能できた。
豪快な空振り直後のグランドスラム
【グランドスラム】 中日ラストイヤーとなった2012年10月15日。ヤクルトとのCSファーストステージ(ナゴヤドーム)は、1勝1敗で第3戦を迎えていた。前年に続いての統一球。投手戦は0対1のビハインドのまま8回まで進んだ。ヒットと2四球で1死満塁。ヤクルトのバーネットはなおも制球が定まらず、ブランコさんにも3ボールとなった。ベンチのサインは「待て」。ところが振った。豪快な空振り。直後の速球を左翼席に突き刺した。負ければ敗退の危機を救ったグランドスラムを推したのは、その試合の2番打者・荒木雅博さんだ。
「(前年の横浜で)優勝を決めた3ランと甲乙つけがたいですが、あの満塁ホームランはみんなを喜ばせた。ブランコがすごいのは、試合を決めるホームランが多いことなんです」
遠くへ飛ばす、たくさん打つ。そんな打者なら他にもいたが、ブランコさんの一発には値千金、起死回生という見出しが立った。つまりドラマがあったのだ。タフガイにしてナイスガイ。あまりにも早く、そして不条理な死だった。


