熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
41歳精巣がんで死去…MFレアンドロ・ドミンゲスは「天才肌だが汗をかけた」「彼と確執があったわけでは」恩師ネルシーニョも沈痛〈柏でJ1制覇〉
text by

沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph byTakuya Sugiyama
posted2025/04/03 17:01
「レドミ」の愛称で愛されたレアンドロ・ドミンゲス。柏レイソルを優勝に導き、2011年のJリーグMVPに輝く以外にも各クラブで鮮やかなプレーを見せた
「妻と3歳の息子と共に、日本へ渡った。生活面では、クラブ関係者が親身になって面倒を見てくれたから、特に問題はなかった。でもピッチの中では当初、戸惑った。
プレシーズンのキャンプで、日本人選手たちが非常にスピードがあり、しかもよく走るのに驚いた。『こんなスタイルには、とても付いていけない。契約を解除してブラジルへ帰ろうか』と考えた。でも、当時、柏にいたフランサらブラジル人選手が『やがて慣れるから、心配いらない』、『お前なら必ず日本で成功する』などと励ましてくれた。そのお陰で契約解除を思いとどまり、一生懸命に練習していたら、次第に日本のプレースタイルに慣れていった」
人間的に、確執があったわけではない
そこからたちまち柏の攻撃の中心となり、J2で32試合に出場して13得点17アシストを記録してJ1復帰に貢献した。そして、2011年、J1でもチャンスメイクと得点の両方でチームを牽引し、30試合に出場して15得点7アシスト。「J2からJ1へ昇格即優勝」というJリーグ史上初の快挙を成し遂げる立役者となり、JリーグMVPとベスト11に選出された。
ADVERTISEMENT
2012年も好調で、AFCチャンピオンズリーグで7試合で5得点をあげてグループステージ突破に貢献。天皇杯で優勝した。2013年は5月に内転筋を痛め、9月にブラジルへ帰国して手術を受ける。それでも11月のナビスコカップ決勝にフル出場し、優勝を手助けした。
しかし2014年4月、ナビスコカップのヴァンフォーレ甲府戦で相手選手に暴力を振るって、退場処分を受けた。当時「この試合の以前にも審判への執拗な抗議や相手選手への乱暴なプレーでイエローカードやレッドカードを受けたことがあり、ネルシーニョ監督がドミンゲスに厳しく注意した。以来、2人の関係にヒビが入った」と報じられた。
以来、ドミンゲスは試合の出場メンバーから外され、6月、名古屋グランパスへ移籍した。このときの事情について、ネルシーニョ監督は次のように語る。
「私と彼の間に、人間的な軋轢や確執があったわけではない。ただ、私が他の選手を起用することを決断したので、クラブとも相談した結果、彼が退団することになった」
名古屋、横浜FCにも…愛された名ブラジル人MF
名古屋では筋肉系の故障が頻発し、右膝も痛めて、2015年末までの1年半の間、J1では14試合2得点。ブラジルのクラブでプレーしたのちに2017年7月、33歳で横浜FC(当時J2)に加入。この際は体調は良好で、2019年のJ1昇格に貢献。2020年末まで在籍した。
Jリーグの野々村芳和チェアマンは、このようにコメントしている。
〈この度の訃報に接し、大変驚いており、誠に残念でなりません。レアンドロ・ドミンゲス選手がボールを持つと、何が起こるのだろうと期待感が湧きあがり、スタジアムの空気がパッと変わったことをよく覚えています。 所属チームだけでなく対戦チームも含め、多くの選手たちがレアンドロ・ドミンゲス選手のサッカーへの姿勢や創造力あふれるプレーに刺激を受け、切磋琢磨し、Jリーグの水準を押し上げてくれました。10年以上もの長きにわたりJリーグを牽引してくれたレアンドロ・ドミンゲスさんへ、Jリーグ、Jクラブ、サッカーファミリーより、心からの感謝と哀悼の意を表します〉
このメッセージの中に、今、我々が抱くすべての思いが込められているのではないだろうか。


