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日本で初めてブーイングを浴びたプロレスラーとは? ファンから“否定された”ジャンボ鶴田が「完全無欠のエース」になった理由 

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堀江ガンツ

堀江ガンツGantz Horie

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posted2025/03/06 11:03

日本で初めてブーイングを浴びたプロレスラーとは? ファンから“否定された”ジャンボ鶴田が「完全無欠のエース」になった理由<Number Web> photograph by AFLO

1989年6月5日、ジャンボ鶴田と天龍源一郎の三冠ヘビー級選手権試合

 本来、団体一のベビーフェースであるはずの鶴田が、何をやってもブーイングを浴びる異常事態。ただし、風向きが変わるのも早かった。89年3・29後楽園ホール大会で川田利明&サムソン冬木のフットルースと対戦した五輪コンビは、この日も試合開始直後から攻撃するたびに大ブーイングを浴びていたが、鶴田は「どうせブーイングを浴びるならとことん浴びてやろうじゃないか」と、開き直ったかのように大暴れ。川田と冬木を大流血に追い込んだ末、圧倒的な強さを見せつけて完勝してみせた。

 万年省エネファイトの鶴田が少し本気を出したら、これほどまでに強いのか。多くの観客が圧倒される中、鶴田はブーイングを煽るかのように「オーッ!」と右拳を突き上げて得意の雄叫び。すると客席から自然発生的に「ツ・ル・タ、オーッ! ツ・ル・タ、オーッ!」と、鶴田コールの合間に「オーッ!」の掛け声を入れる新・鶴田コールが起こり、これがバカ受け。90年代に三沢光晴ら超世代軍と闘っていた頃はおなじみだった「ツルタ、オーッ!」コールが初めて起きたのがこの時だった。

 見せつけられた、本気を出した鶴田のあまりの強さ。そして「鶴田」と「オーッ!」を掛け合わせた「ツルタ、オーッ!」コールのあまりの語呂の良さ。この二つが相まって鶴田が偶発的に再びベビーターンして歓声と「ツルタ、オーッ!」コールを浴びるようになったのである。

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 この翌月、鶴田は4・20大阪大会で天龍を高角度パワーボムで失神させて三冠ヘビー級王座を防衛。アクシデント的な側面があったとはいえ、これは鶴龍対決で初めてのピンフォール決着であり、天龍はその後、試合を欠場。3月までとは打って変わり、絶好調だった天龍に逆風が吹き、ブーイングを浴びていた鶴田が一気に時流に乗った。

天龍との“キャリア最高のファイト”

 そして迎えた6・5日本武道館での再戦。2階席には「今こそジャンボ鶴田!」という大きな横断幕がかけられるなど、会場の雰囲気は鶴田の押せ押せムード。これまで鶴龍対決は、人気面で天龍が大きくリードしていたが、会場のコールも五分五分。天龍革命以降の戦績も2勝2敗であり、真の意味で雌雄を決する一戦となった。

 試合は鶴龍対決の総決算ともいうべきプロレス史上に残る名勝負となり、最後は天龍が渾身のパワーボム2連発で勝利し王座奪回に成功。鶴田は敗れたが、キャリア最高のファイトを見せたことによって、ここから「完全無欠のエース」となり、全日本プロレス黄金時代をもたらした。ブーイングがひとつのきっかけとなり鶴田自身が変わり、時代をも変えることとなったのである。

 そこで清宮海斗と海野翔太だ。本来は歓声を受けるはずの団体エースがブーイングを浴びたというのは、かつてのジャンボ鶴田と同じ。あとは試合でファンを納得させて、一皮剥けるきっかけにできるかどうかである。真のエースになれるかどうか、時代を作ることができるか否か、ここが正念場だ。

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