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「月収はプロレス10万円、芸能10万円でした」元ビューティ・ペアが明かす“衝撃のギャラ事情”…マキ上田が証言、全女の興行が“超高額化”したカラクリ
posted2026/05/28 11:00
「ビューティ・ペア」で一世を風靡した伝説のアイドルレスラー・マキ上田さんのインタビュー【第1回】
text by

伊藤雅奈子Kanako Ito
photograph by
Shiro Miyake、東京スポーツ新聞社
◆◆◆
いまからちょうど半世紀前の1976年、全日本女子プロレス興業(以下、全女)の2月24日後楽園ホール大会で、故・ジャッキー佐藤さんとマキ上田さんによるビューティ・ペアが誕生した。
同年11月25日にデビューレコード「かけめぐる青春」をリリースすると、総出荷枚数88万枚を超えるメガヒット。女子プロレスラーの楽曲史上最高のセールスとなり、この高記録はいまだに破られていない。
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18歳で174センチだったジャッキーさんと、17歳で168センチだったマキさんは“闘う宝塚”と称され、翌1977年にはピンク・レディーと双璧を成す日本のトップアイドルとなった。
フジテレビの「全日本女子プロレス中継」はゴールデンタイムにレギュラー放映され、初の主演映画「ビューティ・ペア 真赤な青春」は全国でロードショー。現役女子プロレスラーで唯一、「NHK紅白歌合戦」にゲスト枠で出演した。
日本中でビューティ旋風が席巻して、およそ50年。アイドル女子プロレスラーの先駆けである“リアルレジェンド”に迫った。
女子プロレスという存在を知らなかった
マキ 50年ですか。もうそんなに経つんですね。
――ビューティ・ペアは女子プロレス界最大のスターですが、意外にもマキさんはプロレスに興味がなかったんですよね。
マキ そうですね。地元の鳥取に全女が来たときに、プロレス好きだった父が勝手に松永(高司社長=当時)に話をつけちゃって、高校を1年で中退して入ったんです。プロレスは柔道の受け身に近いんですけど、私は中高とバレーボールをやってて、プロレスって回転レシーブと似た動きがあるので、すんなりとやれちゃったんですね。体も柔らかいし。
――プロレスに対する抵抗感はなかったんですか。
マキ 東京に出たい気持ちが強かったんで、抵抗感はなかったです。女子にプロレスがあることを知らなかったから、先入観がなかったのも、良かったかもしれないですね。
――上田真基子さん(本名)の半年後に入団したのが、ジャッキー佐藤こと佐藤尚子さん。どういう方でしたか。
マキ 彼女はバスケットボールをやってて、めっちゃ体が硬いんですよ。飛んだり跳ねたりはできるけど、受け身とか、床に面して回転することがまるっきりダメだから、故障が多い子でね。技を覚えるのは早いけど、受け身がなかなか取れなかったから、その分ケガも多くなった。

