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「寂しがり屋の浜ちゃん」グラン浜田74歳の死に思う…カメラマンが振り返る“メキシコの小さな巨人”の素顔「釣りとパチンコ、ラーメンが好きだった」
text by

原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2025/02/19 17:01
「メキシコの小さな巨人」グラン浜田。絶大な人気者だった。1978年8月
浜田が吹き出した「天ぷら事件」
初めてルチャリブレを見た会場はパチューカだった。浜田の車で向かったが、舗装されていない道もあってかなり揺れた。ちょうどエル・ソリタリオとペロ・アグアイヨの抗争が始まった頃だ。アグアイヨの発音を何度も習ったものだ。ほとんど「アワイヨ」のように聞こえた。
次の日はソチミルコだった。また、ソリタリオがいた。やっぱりソリタリオとの記念写真は欲しい。早速、浜田に撮ってもらった。そんな風にUWA系の会場に浜田と出かけていたから、EMLLにいた佐山サトルの試合は一回も見ていない。佐山とはホテルや撮影用の練習で顔を合わせていたし、浜田の家にも来ていたから話はしていたが、後になってせめて一試合でも見ておけばよかったなあと思う。
あの時のメキシコにはテムヒン・モンゴル(後のキラー・カーン)がいて、鉄人ルー・テーズも神様カール・ゴッチもいた。いいときに行けた、すごかったなあ、と思う。
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浜田家で一つだけ厄介だったのは、浜田が釣りに行くために朝早く起こされることだった。釣りそのものは嫌いではないが、午前3時とか4時に出かけるのだ。
シティから2時間ほど走った山賊が出そうなトルーカの山の中の湖。浜田の釣りの先生(メキシコ人)と3人でマスを釣る。これがなかなか釣れない。でも、浜田は辛抱強く浮きのない糸を垂らして座っていた。
少しわかるようになったと感じていたスペイン語が、思わぬ笑いを呼ぶ。出かける前の浜田とビッキーの会話の中に「エスタ・ノーチェ」と「テンプラ」という言葉を聞き取って、「今夜は天ぷらだ」と私はうれしがっていた。ところが夜、家に戻るとビッキーが焼き始めたのは肉のステーキだった。すっかり天ぷらモードになっていた私は怪訝な顔で浜田に聞いた。
「今夜は天ぷらって言っていたよね?」
すると浜田が吹き出した。
「あれはね。テンプラーノって言ったの。早く家に帰るからねって」
浜田とはメキシコのいろんな会場に行った。浜田とテーズがタッグを組んだことがある。そこは大きくはない闘牛場だった。試合前、浜田がパンを持ってきてくれた。ガブリとかじったら、口の中が大変なことになった。生の緑のチレ(唐辛子)が何本か入っていたのだ。浜田のいたずらに引っかかった。当時の国内線では機内食にこのチレが入っていて、ポリポリかじっている人もいたから、メキシコでは普通なんだろうけれど。



