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「寂しがり屋の浜ちゃん」グラン浜田74歳の死に思う…カメラマンが振り返る“メキシコの小さな巨人”の素顔「釣りとパチンコ、ラーメンが好きだった」 

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原悦生

原悦生Essei Hara

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posted2025/02/19 17:01

「寂しがり屋の浜ちゃん」グラン浜田74歳の死に思う…カメラマンが振り返る“メキシコの小さな巨人”の素顔「釣りとパチンコ、ラーメンが好きだった」<Number Web> photograph by Essei Hara

「メキシコの小さな巨人」グラン浜田。絶大な人気者だった。1978年8月

パチンコとラーメンが好きだった“浜ちゃんの素顔”

 1979年になり、浜田がシリーズ参戦のため日本に帰ってきた。新日本にルチャが本格的に入ってきた時だ。ペロ・アグアイヨ、ベビー・フェイスらと浜田の試合もテレビに映るようになった。

 関東近郊の試合場には浜田と車で行くことにした。試合の後、浜田の実家のある前橋にも行って一緒にコタツで寝たこともある。私が「道わかんないよ」って言って、浜田に運転を変わったら、右側を走り始めた。メキシコの癖がつい出てしまったのだ。これは危なかった。

 浜田はパチンコが大好きだ。メキシコじゃできないからだろうか。一緒にパチンコに行ったことはないが、日本にいる時の浜田はパチンコ店を探していた。

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「今度メキシコに来るときはインスタントラーメンを持ってきてよ」

 浜田はラーメンが好きだった。1986年のサッカーのワールドカップの取材の時は、ラーメン30個入りの箱を2つ持っていった。浜田はうれしそうな顔をした。

 UWAで世界ミドル、ライトヘビー、ジュニアヘビーのベルトを巻いた浜田は、WWF(現WWE)ライトヘビー級王者にもなり、タイガーマスクとも好勝負を見せた。

 メキシコと日本をつないだ名ルチャドール、グラン浜田。1984年の前田日明らのユニバーサルプロレス(旧UWF)の旗揚げに名を連ね、1986年にはジャパン女子プロレスでコーチになった。その女子のリングで大仁田厚と戦ったこともあった。1990年にはユニバーサル・プロレス(ルチャ)の旗揚げに参加したが、団体は消滅してしまう。浜田は新日本プロレスを経て、みちのくプロレスに入った。その後もフリーとして、日本とメキシコのリングで戦ってきた。最後の試合は2018年だった。

 2026年になったら、またメキシコでもサッカーのワールドカップがあるので、「会いに行かないとね」と昔から浜田を知っている友人と話していた。だが、それは叶わなかった。浜田の方が私より5つ年上だったが、なぜか気が合った。

 浜田は寂しがり屋だった。東京で飲んだ後、「家まで送っていってよ」と誘われたが、私は「早く帰った方がいいよ」と電車に押し込んだ。

 浜ちゃん、安らかに。マス、釣れるといいね。

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