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「落合vs松井の不仲説は本当だった?」巨人OB“落合不要論”に怒った42歳落合博満「落合、早くやめろ!」の声も…21歳松井秀喜から4番を奪い返すまで 

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中溝康隆

中溝康隆Yasutaka Nakamizo

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photograph byベースボール・マガジン社

posted2025/02/09 11:00

「落合vs松井の不仲説は本当だった?」巨人OB“落合不要論”に怒った42歳落合博満「落合、早くやめろ!」の声も…21歳松井秀喜から4番を奪い返すまで<Number Web> photograph by ベースボール・マガジン社

1996年シーズン、巨人4番の座を争った落合博満(当時42歳)と松井秀喜(当時21歳)

「巨人がオレをいらないなら…」

 若い松井を叩けば世間から総スカンを食らうだろう。だから、落合をターゲットにしつこく批判し続けたのだ。しかし、25歳の遅いプロ入りで、観客のほとんどいないパ・リーグの二軍から泥にまみれて這い上がってきたオレ流からしたら、若手に「ハイどうぞ」と自分の居場所を黙って譲るつもりはなかった。

「よくOBが『吉岡(佑弐)や大森(剛)を育てろ』とかいうだろう。でも、それで負けたらボロクソいうわけだ、監督のことを。周りは勝手なことばかりいうんだ。若い奴を育てながら勝つなんて、できるわけがない。(中略)プロの世界は、人に育ててもらうところじゃない。自分で育って、自分で這い上がってくるところなんだ」(週刊ポスト1996年4月19日号)

 Jリーガーのラモス瑠偉との憤激対談企画で、落合はそう自説をぶった。「若手が実力で勝負してオレに勝てば、オレはヴェルディを出ていく。それで、オレをほしいチームがあったら、すぐにそっちに行く」というラモスに対して、「行くよな(と、ラモスを見て頷く)。ジャイアンツがオレをいらないとなって、他のチームがオレをほしいとなれば、オレもそっちへ行く」と同調してみせるオレ流。それはまるで自身に待ち受ける嵐のオフを予感しているかのようだった。

「打率.354」42歳は4番を取り返した

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 開幕スタートダッシュに失敗して、「ロケットは不発に終わりました。フロリダ沖に消えました」なんて長嶋監督が肩を落とした巨人は、4月終了時、7勝12敗で5位に沈んだ。四番の重圧に苦しんだ松井は19試合でわずか7打点。チーム打率.228もリーグ最低だったが、落合は打撃ベストテンの3位につける打率.354、さらに5本塁打、19打点とひとり気を吐いた。

「監督が決めたのなら従うまでだけど、『四番というのはこういうもんだよ』と見せてやらなきゃと思っていた。あの年は、最初松井がランナーをいっぱい残していってくれたから、コツコツと返していった。結局一カ月で代わりましたけれど、彼は良い経験をしたんじゃないのかな?」(VHS「長嶋茂雄 第三巻 背番号33の時代」BOOK「証言・長嶋茂雄」/メディアファクトリー)

 ついに5月1日の中日戦から、長嶋監督は四番松井に一旦見切りをつけ、昨年までと同じ「三番松井、四番落合」の並びに戻した。その中日戦で、落合はあの乱闘騒ぎに巻き込まれるのである。

<続く>

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#2に続く
「巨人・ガルベスvs中日・山崎武司」最悪の大乱闘…止めたのは42歳落合博満だった「中日のピッチャーに同情したんだよ、オレは」29年前の真相

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