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戦力外ピッチャーが落合批判「選手は文句タラタラ。コーチも落合さんに不満ためてる」天才・落合博満44歳vs日本ハム若手「こうして落合は現役引退を決めた」 

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中溝康隆

中溝康隆Yasutaka Nakamizo

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posted2025/01/21 11:04

戦力外ピッチャーが落合批判「選手は文句タラタラ。コーチも落合さんに不満ためてる」天才・落合博満44歳vs日本ハム若手「こうして落合は現役引退を決めた」<Number Web> photograph by KYODO

1998年10月14日、落合博満44歳の現役引退会見。巨人から日本ハムに移籍して2年で引退を決断した

 名護キャンプでは2月2日にエア・テントで150球の初打ち。前年より11日も早い異例の打ち始めだった。上田監督は、オープン戦で西浦や前年の本塁打王ナイジェル・ウィルソンの一塁起用を明言。キャンプ終了後、背番号3は鎌ケ谷の室内練習場にカギをかけて籠もり、谷山高明打撃投手とマンツーマンで打ち続ける。オープン戦に同行した昨年とは異なり、独自調整を続けた落合は、開幕2週間前に一軍合流する。

44歳落合は怒っていた

 オープン戦初出場は3月22日の近鉄戦。東京ドームに「四番一塁」で登場すると、いきなり貫禄の2安打。この後も上田監督は競わせるように「四番落合、五番西浦」で起用し続けるが、オレ流は合流後4試合で打率.545と、一塁を争う西浦をして「大したオヤジです」と脱帽させる結果を残す。この例年にないオレ流のスピード調整の裏には、一軍経験すら満足にない西浦との“四番争い”に対する、怒りに近い感情があった。

「メディアは私を『怪物』だと表現し、『あのやる気をくんでやりたい』という首脳陣のコメントも載ったが、私は小学生の算数の答案と大学院生の代数学の研究論文を比べて『どちらが優秀か』と言っているような四番戦争に終止符を打つために意地になっただけである」(野球人/落合博満/ベースボール・マガジン社)

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 元三冠王の意地とプライドが、44歳の肉体を突き動かしていたのだ。そして、1998年4月4日の開幕戦、「四番一塁」で出場した落合は、西武のエース西口文也らから、自身16年ぶりの開幕猛打賞を記録してみせるのである。苦手なデーゲーム対策でサングラスをかけ、「素肌の感覚が大事」と言い続けた男が、素手でバットを握るこだわりも捨て、左手には革手袋をつけて二塁打を含む3安打。なお、44歳3カ月での開幕戦出場は当時の最年長記録だった。

 4月10日のオリックス戦では、東京ドームの左中間スタンドへ前年7月以来の第1号アーチを放ち、さらに第3打席の右前打が通算2340安打目。元広島の山本浩二を抜く歴代10位へと躍り出た。開幕4試合を終えた時点で打率.538、得点圏打率.667と落合は凄まじい勢いで打ちまくる。

 自分より21歳も若い西浦との四番争いが、オレ流の消えかかった反骨心に再び火をつけたのだ。

<続く>

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#2に続く
落合博満44歳「あのときオレの“戦う気持ち”が絶えた…」天才・落合に現役引退を決断させたのは誰か?「完全燃焼なんてウソ」信子夫人は日本ハムの起用法を疑問視

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