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「誇り」と「称号」どちらをとるか? 原田哲也、中野真矢、清成龍一、佐々木歩夢…日本人ライダーが正々堂々戦って敗れた歴史
text by

遠藤智Satoshi Endo
photograph bySatoshi Endo
posted2025/01/16 11:01

1998年の原田哲也(左)とロリス・カピロッシ。多くの日本人ファンがが悔しい思いをしたレースはいまだ記憶に新しい
僕や多くのファンが悔し涙を呑んだレースとして忘れられないのは、1998年の最終戦アルゼンチンGPの250ccクラス決勝だ。トップを走るバレンティーノ・ロッシの後方に原田がいて、そのまま2位でゴールすれば2度目のタイトル獲得が決まるという展開だった。しかし、3位を走っていたポイントリーダーのロリス・カピロッシが、最終ラップの最終セクションで前を走る原田に無謀とも思える距離から激しく激突。この接触で原田は転倒しノーポイントとなる一方、カピロッシはコースに復帰して2位でフィニッシュし、チャンピオンになった。
原田、カピロッシともにすでに引退し、いまでは家族ぐるみのつきあいとなっているが、僕はいまでもあのシーンを思い出すたびに「あの走りはない」と怒りがぶり返すし、ヨーロッパ人のいざとなったときのなりふりかまわない行動にうんざりさせられる。
日本人がレオパード・レーシングやカピロッシのような悪役になったことは、この35年の間に一度もない。だが、もし日本人ライダーがなりふり構わず勝ちに行けば、チャンピオンを獲得できたであろうレースもあった。
誇りのありかとは?
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その代表とも言えるレースが、2000年に250ccクラスでチャンピオン争いを繰り広げた中野真矢とオリビエ・ジャックの最終戦オーストラリアGPでの一騎打ちだった。中野は最終ラップの最終コーナーを先頭で立ち上がったが、スリップから抜け出したジャックにゴール直前でかわされる。先着した方がチャンピオンという戦いで、中野はマシンを振ってオリビエを妨害することもなく最後までフェアな戦いを貫き、わずか0.014秒差でチャンピオンを逃してしまった。
正直、僕は「真矢、どうして幅寄せしなかった。たとえダーティと言われても……」と思ったが、中野はそれを良しとしなかった。チャンピオン獲得は叶わなかったが、1998年の原田、2023年の步夢とともに、強く印象に残るレースのひとつである。
敗れた真矢が語ってくれた「自分のレースに悔いはなし。でも、やっぱり一番になっておけば良かった」という言葉が印象的だった。
日本人ライダーがクリーンな戦いで敗れてきた歴史は、誇るべき歴史でもある。だが、もし勝負に徹していたら、日本人のチャンピオン獲得回数はもっと増え、世界チャンピオンは6人どころではなかったかもしれない。そう思ってしまうのもまた事実なのだ。
