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偏差値72“北海道No.1進学校”から「まさかのドラフト1位」のナゼ…17年前、楽天に入団“ナゾのドラ1”の正体 指名の瞬間は「球技大会でバスケを…」 

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田口元義

田口元義Genki Taguchi

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posted2025/01/12 11:00

偏差値72“北海道No.1進学校”から「まさかのドラフト1位」のナゼ…17年前、楽天に入団“ナゾのドラ1”の正体 指名の瞬間は「球技大会でバスケを…」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

18年前、北海道No.1進学校である札幌南高からドラ1で楽天入団を決めた寺田龍平。異例の指名のウラにはどんな狂騒曲があったのだろうか

 野球部も旧制の札幌一中時代を含めると3度の甲子園出場経験がある文武両道のチームながら、寺田は「勉強より野球に専念するようになりましたかね」と言う。

「少年野球を始めた頃からの延長で『プロ野球選手になりたい』って感じは持っていましたし、チームとしても甲子園に出て勝ちたいっていう気持ちはありました」

 進学校において、甲子園ならまだしも「プロ」は現実的な目標として認知されにくい。ところが、1年時に担任教師との2者面談で進路を聞かれた寺田は、臆面なく答えた。

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「プロ野球選手になりたいです」

 担任から不機嫌そうに返される。

「いや、そうじゃなくて。どの大学に行きたいのかを聞いてるんだよ」

 面談中の寺田の本心といえば、プロは「行けたらいいな」といった願望に近かった。進学校のためほとんどの生徒が大学に進むのはわかっているが、端から自分の意志を除外するような形式的な面談をされたことが悔しく、改めて野球に打ち込もうと決意する。

 平日の全体練習は4時間ほどだったが、完全下校となる20時を過ぎても自主練習を続けるあまり、校内を見回りに来る警備員に怒られることも珍しくはなかった。

 これだけ寺田が野球に打ち込めた背景として、札幌南が自主的な練習を多く取り入れていたことが挙げられる。

 そのような環境下で寺田は、ひたすらピッチングと向き合った。カメラでフォームの連続写真を撮影し、利き腕である右腕やグローブを手にする左手の使い方をチェックする。また、ブルペンでの自分をビデオに収め、ピッチングの動きを客観視しながら修正や改善を地道に行ってきた。

高3時に最速145キロに…数球団から調査書も

 成果が実ったのは2年生の秋。高校入学当時、ストレートの最速が120キロ程度だった寺田の球速は、140キロまでアップしていた。

「この頃から『もしかしたらプロに行けるかもしれないな』と思うようになりました。でも、依然として担任からは『お前はやっぱり大学に進学しろ』って言われてましたけど」

 プロへの意欲は増している。その反面、担任教師が説く「現実」もわからなくはなかった。3年生の夏を迎える頃には球速が145キロまでアップしている。学生がプロ志望届を提出する条件でもある調査書も、数球団から学校に届いていることも知っていた。

【次ページ】 運命のドラフト当日…校内では球技大会が

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