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酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
「ワシ、投げるから」先発が続投なのにマウンドへ…“批判されたエース”金田正一の埋もれた事実「メジャーも熱視線」「巨人移籍後の成績は?」
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph byToshiya Kondo
posted2025/01/09 17:11
2006年の金田正一。引退後もロッテ監督、名球会など球界で存在感を放った
国鉄の赤字経営が問題視され「赤字の国鉄がプロ野球チームを持っているのはけしからん」という声が上がる。これを受けて国鉄スワローズには1962年からフジサンケイグループが資本参加、次第にフジサンケイグループの意向が強くなる中で、1964年金田は巨人への移籍を決意した。金田が去ったスワローズは、1965年シーズン中に国鉄が資本を引き揚げサンケイスワローズとなる。まさに国鉄スワローズは「金田に始まり、金田に終わった球団」だったと言える。
金田正一の長男で俳優の金田賢一は、金田が引退してかなり経ってから「親父はJRの改札をいまだに“おっ”て手を上げて切符を買わずに通っていますよ」と話したことがあるが、国鉄愛は深く、後年「ホンマにいい球団だったのよ、弱かったけど暖かかった。同じ貧乏球団でも広島カープは今でも存続しておる。スワローズも身売りしなければよかったんや」と述懐している。
巨人での5シーズン、タイトルは1つだけだった
巨人では5シーズン投げた。1年目に防御率1位のタイトルを得たものの、タイトルはこの1つだけ。47勝31敗、防御率2.83の通算成績だった。
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しかし金田が移籍した1965年から巨人は空前の「V9(9年連続リーグ優勝、日本一)」が始まる。金田は国鉄では一度も経験しなかった日本シリーズを何度も経験し、1968年には日本シリーズ優秀投手になっている。
1968年の金田は11勝を挙げたものの10敗、防御率は3.46まで落ち込んだが、この時点で395勝。史上初の400勝に向けて金田は最後の力を振り絞る。
1969年10月10日の中日戦、前日にリーグ優勝を決めていた巨人は、城之内邦雄が先発し4回まで投げて3−1とリードして、金田にマウンドを明け渡す。金田は1失点したものの7−2で巨人は勝利。前人未到の400勝を達成した。
NPB最多298敗も偉大な記録なワケ
こうしてみると、金田の400勝には実力以外の部分もあったことがわかるが、それにしてもこの記録は偉大だ。ただ――金田の偉大さは「通算最多勝」だけでなく「最多敗」記録保持者でもあることだ。
〈歴代通算敗戦数5傑〉
1.金田正一298敗(1950-1969/20年)944登板
2.米田哲也285敗(1956-1977/22年)949登板
3.梶本隆夫255敗(1954-1973/20年)867登板
4.東尾 修247敗(1969-1988/20年)697登板
5.鈴木啓示238敗(1969-1988/20年)703登板
こうしてみると、敗戦数上位には弱小球団に所属した大エースが並んでいることがわかる。