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「私を完全に狂わせた」落合博満43歳vs日本ハム名将の不仲説…「屈辱のスタメン落ち、戦犯扱い」それでも落合が43歳でマークした“誰にも破られていない記録”
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byKYODO
posted2024/12/30 11:17
名将・上田利治監督と落合博満。落合獲得を熱望した上田監督だが、2人の間には確執も囁かれた
いつも余裕を感じさせたオレ流らしからぬ切実なコメントの数々。前年、最年長の打率3割を記録して“超人”と称された男が、ついに己の衰えと直面してあがいていた。だが、大衆はそんな落合を見捨てなかった。圧倒的な数字を残して腕一本で成り上がってきた落合の背中に、数字以外の何かを見たのだ。オールスターファン投票で41万9097票を集め、パ一塁手部門で断トツの1位選出されるのである。
「おまえ、ヒロスエって知ってるか?」
前半戦終了時、打率.266、3本塁打、33打点。日本ハムとは2年契約を結んでいたが、限界説も囁かれた。16度目の選出にして、これが最後の球宴だろうと感じていた落合に、全パの仰木彬監督は第2戦の「トップバッターでの1打席起用」を告げる。結果は元同僚の山本昌(中日)の前にあえなく三球三振に倒れるも、オールスター戦のまっさらな打席で先頭打者としてオレ流がバットを構える。それは仰木なりの演出であり、偉大な大打者への花道でもあった。
「この日の始球式ゲストは、タレントの広末涼子さん。若い選手にはしきりに羨ましがられたが、当時は広末さんのことを知らなかった私は、全セのベンチ裏へ行って大野豊(当時・広島)をつかまえ『おまえ、ヒロスエリョウコって知ってるか?』と聞いた。すると、大野は『いいえ。誰ですか、それ?』という期待通りの答え。世間では有名で人気のあるタレントらしいと説明して『俺たちも、オジンになったなぁ』とお互いに苦笑したのを覚えている」(プロフェッショナル/落合博満/ベースボール・マガジン社)
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デビュー曲「MajiでKoiする5秒前」がヒットしたアイドルの広末涼子は、当時17歳になったばかりで、最年長出場の落合とは親子ほど歳が離れていた。なお、出場選手の平均年齢は全セが29歳、全パが28.7歳。初出場選手は13人を数えた。平成球界は世代交代の真っ只中だったのだ。
屈辱のスタメン落ち…「だが、誰にも破られていない記録」
そして、日本ハムでも徐々に落合は微妙な立ち位置になっていく。コーチ役も自身の成績が伴わなければ、自然と若手とも距離ができてしまう。