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「私を完全に狂わせた」落合博満43歳vs日本ハム名将の不仲説…「屈辱のスタメン落ち、戦犯扱い」それでも落合が43歳でマークした“誰にも破られていない記録”
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byKYODO
posted2024/12/30 11:17
名将・上田利治監督と落合博満。落合獲得を熱望した上田監督だが、2人の間には確執も囁かれた
8月6日のロッテ戦で王貞治に続く史上2人目の1500四死球を達成したが、後半戦本塁打なしで迎えた8月22日のオリックス戦で、一塁ライナーを捕球した際に左第四指末節骨を脱臼。26日の西武戦で16年ぶりの「六番一塁」で無理に復帰するも、患部を悪化させて離脱。9月9日のダイエー戦で11試合振りに戻ると、七番起用で4打数無安打に終わる。だが、崖っぷちの「七番落合」は意地を見せる。9月14日、敵地の近鉄戦で日本ハム打線は小池秀郎に8回一死までノーヒットノーランに抑えられるも、落合が左翼へ二塁打を放ち記録を阻止するのだ。
「(無安打を)止めにいったんだよ。おれが止めるしかないだろ。最後はインコースの真っすぐしかない。読み通りだよ」(日刊スポーツ1997年9月15日)
だが、直後からチームはイースタンで20本塁打を放った西浦克拓を一塁で先発起用するのだ。上田監督もプロ初アーチを放った22歳の大砲候補に対して、「落合のライバルだと思ってやってほしい」と世代交代への期待を口にした。9月17日以降、落合の先発起用はなく、代打出場のみとなる。1年前、Vの使者として金屏風の前で盛大に迎え入れられたオレ流は、いまや前年2位からBクラス転落のチームの戦犯として叩かれるのだ。
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113試合、打率.262、3本塁打、43打点、3盗塁、OPS.680。レギュラー定着後、ほとんどの部門で自己最低の成績に終わったが、466打席に立ち、61四球を選び、104安打を放った。長いプロ野球史において、44歳になるシーズンで規定打席に到達した選手は、いまだに落合以外いない。衰えてなお、オレ流は球史にその名を刻んだのだ。
そして、日本ハムの落合博満は、1998年に「最後の1年」を迎えることになる。
<全3回/前編、中編から続く>