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「優勝監督インタビューで、落合は号泣していた」本当は“熱い男”だった落合博満…巨人時代にも「長嶋監督との約束を守れなければ末代までの恥」
text by
横尾弘一Hirokazu Yokoo
photograph byHideki Sugiyama
posted2024/12/30 17:06
中日監督時代の落合博満(写真は2010年)。メディアや選手に対する“沈黙”の奥底で、さまざまな思いをめぐらせていた
あの落合博満が号泣した日
では、「有言実行」できるのはなぜか。
三冠王にしても優勝にしても、落合は大きな目標を立てた際に、それを達成するための条件を洗い出し、その条件をクリアできる道筋を徹底してシミュレーションしているのだ。三冠王なら、打率は残せる、打点はチームメイトのサポートを受けられる、あとはどれだけ本塁打を増やせるか、と課題のポイントを絞り、その方法を探った。
ゆえに、目標達成に黄信号が点るのは、競う相手が落合の想定を超えた時だ。そんな落合を、一度だけ見たことがある。
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'06年のシーズン、中日は投打に圧倒的な戦力を擁して6月半ばには首位に立つも、9月になると前年王者・阪神の猛追を受ける。そんな状況で取材を申し込むと、落合は珍しくこう言った。
「ちゃんと優勝できたらな」
自軍とライバルの戦力を緻密に分析し、筋書きのないドラマを計算通りに運んできた落合にも予測できない勢いが、この時の阪神にはあるのだと感じた。果たして、2ゲーム差まで詰め寄られたが、142試合目となる巨人戦を延長で制し、どうにかゴールに辿り着く。「どんな仕事でも、成功したければ勉強することだ」と言い、野球学を究めてきた落合にも、予測できないことはあった。優勝監督インタビューのお立ち台で、落合は号泣していた。
<前編から続く>
落合博満Hiromitsu Ochiai
1953年12月9日、秋田県生まれ。'79年にドラフト3位でロッテ入団。3度の三冠王を獲得した。'86年オフに中日、'93年オフに巨人、'96年オフに日本ハムへ移籍し、'98年に現役引退。'04年に中日監督に就任し、8年間で4度のリーグ制覇。'07年には53年ぶりの日本一に導いた。