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「あの子の“察知能力”はすごいものがある」楽天・星野仙一はなぜ田中将大に託したのか? 巨人を倒して悲願の日本一「マー君が無双してたあの頃」
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永谷脩Osamu Nagatani
photograph byHideki Sugiyama
posted2024/12/26 17:01

楽天を日本一に導いた田中将大(当時25歳)
「当たり前にはできないことを当たり前にやるのがスーパースターならば、ファンが思っている以上のことをやるのが、超スーパースター。田中は“超”がつく人間だから、東北の被災地で人々が思っている以上のことをしなければ、“底力”じゃないのとちがうか」
星野仙一監督はかねてから、優勝決定のマウンドには田中がいるのがふさわしいと考えていた。だが、前日に160球も投げた人間が現実に連投など出来るのだろうか。星野監督は、佐藤義則コーチを通じて、本人の意向を確かめた。
佐藤コーチが語る。
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「本人が『いく』ということであればいってもらおう、と話していました。ウチは田中で勝ってきたんだし、投げる意志があるのなら、それが一番いいんだから。本人が『いきます』と言うから、いってもらうことにしたんです」
夏の甲子園で味わった敗戦と後悔
田中には、“悔いや未練を残して終わりたくない”という思いがあった。7年前、斎藤佑樹の早実と対戦した駒大苫小牧の田中は、延長15回引き分け再試合で、先発マウンドに立たなかった。夏は胃腸炎で体調を崩しながらの投球を強いられたため、香田誉士史監督(当時)に「先発はどうか」と聞かれた時、「僕はいいです」と答えて、先発を辞退したのである。その結果、早実に先制点を許し、自身もリリーフ登板したが3失点。3-4で敗れてしまった。その時優勝出来なかった悔しさが、田中の中には今でも残っている。あの時も、体調さえよければ、と。だからこそ、第7戦も体調がよければ投げたいと思っていた。
香田監督はこう語っていた。
「あの子は自分の状態を冷静に分析し、決して無理をしてまで何かをやるタイプではありません。でも、こちらが何を願っているか、何をしてほしいのか。その“察知能力”には、すごいものがあるんです」
日本一がかかった地元・仙台で、星野監督が一番望んでいることは何か、多くのファンが待っているのは何かということを考えた末、自らマウンドに立つことを志願したのだった。そして、日本一の座を、三振で手に入れたのである。