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「清原の名前で野球をやる。覚悟してます」清原正吾の親友もビックリ…慶応大で“まさかの野球再開”「理由は2つあると」「気持ちが落ちていた時期も」
text by
柳川悠二Yuji Yanagawa
photograph byYuji Yanagawa
posted2024/12/14 11:02
結果として清原正吾の“引退試合”となった慶早戦。その試合後に写真を撮る堀井哲也監督と正吾
「理由は2つあると言っていました。まず、いろんなスポーツに挑戦してきて、学生スポーツで日本一、トップを目指すなら野球しかない、と。それから両親への恩返しを考えた時に、自分ができることは野球ではないか、というのが2つ目の理由でした。苦労するのは本人も分かっていたと思います」
福住にもまた正吾は、「4年生になって代打で出場できたらいい」という程度の実力に見えた。
「大学1年生の頃は低めの変化球の見極めができなくて、タイミングもなかなかあわなかった。これは厳しいかなと思ったんですけど、いつの間にか急成長して、タイミングが合うようになり、当たった時の飛距離はやばかったですね。これはもしかしたら……と。よく父親のDNAのように言われますけど、僕は本人の努力に尽きると思います」
野球再開→慶應大4番の衝撃
両親にホームランボールをプレゼントする。そんな目標を掲げていた正吾が初めてリーグ戦で先発したのは3年春だ。開幕スタメンを勝ち取ったものの、結果が出ずすぐにBチームに降格。夏の合宿もAチームとは別の場所で行った。
「一度、気持ちが落ちちゃっていましたね。けっこう、実力をシビアに判断されるのが慶應の野球部で、AチームとBチームとでは暮らす寮も違う。僕も5回ぐらい引っ越しを経験しています(笑)。正吾も悔しかったと思いますが、もう一度、入部した頃の目標を思い出して気持ちを奮い立たせたことで、さらに大きく成長した。周囲のレベルの高さに幾度も圧倒されて、その高い壁を乗り越えて、4年生になってレギュラーを勝ち取った。シンプルに、尊敬します。それには去年の勝児の全国制覇(慶應高校の夏の甲子園制覇)も大きいと思います。負けてらんない、と」
正吾の驚異的な成長に、監督の堀井も衝撃を受けていた。
〈つづく〉