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清原正吾“モデルの母”の前で…「正吾と一緒にコントを披露した」慶大の親友が明かした“清原家の優しさ”「(清原和博が)高橋由伸さんのサインを…」 

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柳川悠二

柳川悠二Yuji Yanagawa

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posted2024/12/14 11:01

清原正吾“モデルの母”の前で…「正吾と一緒にコントを披露した」慶大の親友が明かした“清原家の優しさ”「(清原和博が)高橋由伸さんのサインを…」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

清原正吾を応援するため、足繁く神宮球場を訪れていた父・和博

「僕が『一緒にやろう』と言ったわけではないんです。うちの父が当時、ヘッドコーチを務めていたこともあり、自然と清原家の選択肢としてオール麻布があったんだと思います。正吾は足が特別速いわけでもないんですが、野球センスがあって、バットに当たった時の飛距離はすごかったですね。弟のカツ(勝児)もすごかったですけど、(正吾の)大学での活躍を見ていると、運動神経はやっぱり良かったんだなと思います」

 正吾の父については「人間味のある優しい人」という印象を福住は抱いていた。彼もまた正吾や勝児と同じように、和博のことは「アパッチ」と呼ぶ。

「小学4年生ぐらいの頃、アパッチに『(高橋)由伸さんのサインバットが欲しい』とお願いしたことがあったんです。するとしばらくして、本当にもらってきてくれた。正吾やカツだけでなく、僕の野球の結果もいつも気に掛けてくれていた。アドバイスをもらったこともあります」

事件時の回想「家に遊びに行けず…」

 小学6年生になると正吾がセカンドを、福住がショートを守った。だが、幼なじみの二人が中学進学を迎える頃、清原和博の薬物騒動が世間を震撼させ、正吾の両親は離婚。清原家の周りを報道陣が取り囲む喧騒の日々が訪れる。

 常に正吾のそばにいた福住は、慎重に言葉を選びながら当時をこう回想した。

「記者の方々がたくさんいたので、家に遊びに行くこともできませんでした。僕も子どもだったので、どういう感情を抱けばいいのか分からなかった。ただ、学校での正吾は何も変わらなかったですね。正吾がいつもの正吾なんだから、僕らは普通に接するだけでした。アキアキは大変だったと思いますが、子どもの前では不安な姿をいっさい見せなかった」

 正吾は両親の離婚や父が事件を起こした当時のことを、筆者が担当した「Number Web」のインタビューでこう振り返っている。

【次ページ】 入部を断られることもあった…

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