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朝倉海UFC挑戦の24年前…「UFC初参戦でいきなりタイトルマッチ」を行った日本人とは? 雑誌の見出しは「星の王子さま」、最も王座に近づいた男 

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堀江ガンツ

堀江ガンツGantz Horie

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photograph byNaoki Fukuda/AFLO

posted2024/12/07 17:03

朝倉海UFC挑戦の24年前…「UFC初参戦でいきなりタイトルマッチ」を行った日本人とは? 雑誌の見出しは「星の王子さま」、最も王座に近づいた男<Number Web> photograph by Naoki Fukuda/AFLO

日本人ファイターのパイオニアとしてUFCで闘った宇野薫

ついた見出しは「星の王子さま」

 そしてパンクラスの入門テストに落ちた宇野は、トレーナーを育成するスポーツの専門学校に進み、男子校だった高校時代には味わえなかった青春を楽しんだが、心はまったく満たされなかった。

「やっぱりプロへの未練があって、女のコと遊んだり青春しててもなにか物足りなかったんですよ。渋谷くんがデビューしたことを雑誌で知った時は、『頑張ってるんだな。俺は何をやってるんだろう……』って、すごくモヤモヤしてましたね。それで19歳の時、父が心筋梗塞で急に亡くなって。父の死をきっかけに、自分が本当にやりたいことを考えるようになって、やはり僕はサポートする側ではなく選手としてやりたいと思ったんです」

 そんな時に知ったのが、総合格闘技「修斗」のカリスマ、佐藤ルミナの存在だった。

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「同級生から『修斗っていう格闘技に佐藤ルミナって、宇野くんと同じくらいの体型の強くてカッコいい人がいるんだよ』って教えられて、階級に分かれているなら自分もやってみようと思ったんです」

 そして宇野は、佐藤ルミナが所属するシューティングジム八景に入門。アマチュアの全国大会で準優勝と結果を出したあと、’96年10月に21歳でプロデビュー。めきめきと頭角を現し、憧れのルミナと対戦したい気持ちもあり和術慧舟會に移籍。そしてデビューから約2年半後の99年5月29日、修斗ウェルター級王座決定戦でついにルミナと対戦。大方の予想を覆してスリーパーホールド(リアネイキッドチョーク)で勝利し、見事新チャンピオンに輝いたのだ。

 またこの時期、修斗自体がファッション性の高いニュースポーツとして若者たちの間で注目され、これまでのプロレスや格闘技とは違ったムーブメントを巻き起こしていった。

「当時、マガジンハウスから出ていた『relax』というカルチャー誌で修斗が注目されて、プロレスとは違ったアプローチで人気に火がついたんです。僕自身、新人時代は品川のアフタヌーンティー・ティールームでバイトしながら練習していたら、『カフェで働く格闘家』として誌面に取り上げられて。また、同じマガジンハウスから出ていた『olive』(女性向けファッション誌)で、僕が『今、注目の男のコ○人』みたいな特集でピックアップされた時、当時流行っていた無造作ヘアをしていたら『星の王子さま』という見出しが付けられて、それで注目されるようになったんです。いま振り返ると、すごく時代に恵まれたなって思います」

修斗からの撤退宣言「大騒ぎになりましたね」

 こうして“カリスマ”佐藤ルミナを破った“オシャレ格闘家”として一躍人気選手となった宇野だが、2000年12月に格闘技界を揺るがす行動に出る。ルミナとの再戦に勝利したあと、突如、修斗ウェルター級王座返上と修斗からの撤退を宣言したのだ。

「あれは自分一人で決めて、関係者や身内にも知らせてなかったので大騒ぎになりましたね。初めて観客の罵声を浴びました(笑)。なぜ、あんなことを言ったかというと、他団体から話があったわけでもなく、重圧から一度逃れたかったんです。自分に自信を持てる前にルミナさんというトップ選手に勝ててしまって、その後、チャンピオンにふさわしい試合がなかなかできずに悩んでいたんですよ。

 いま考えると、その頃の対戦相手はUFCでも活躍するディン・トーマスやデニス・ホールマンだったんで『よく勝ったな』って自分でも思うんですけど。当時は『チャンピオンなのに、こんなんじゃダメだ』って悩んでましたね。でも、リマッチをやらずにベルトを返上したら“勝ち逃げ”になってしまうので、勝っても負けてもルミナさんともう一度やって、肩の荷をおろしたいというのが本音でした」

 修斗を離れた宇野は、あらためて自分を鍛え直すために当時、清原和博のトレーナーとしても有名だったケビン山崎のトレーニングを受けるため渡米。ケビンのいるワシントン州シアトルには、“世界のTK”髙阪剛や、元UFC世界ヘビー級王者モーリス・スミスら有名格闘家が練習するAMCパンクレイションがあったため、その2つのジムで並行して練習を行った。まだ次の試合も決まっていない純粋な格闘技修行だったが、この渡米中、宇野にビッグチャンスが舞い込んでくる。

「モーリスにUFCから『お前のところにいま宇野が来てるだろ?』って連絡があって、『UFCバンタム級タイトルマッチの出場予定選手が急きょ欠場となったから出ないか?』っていうオファーをもらったんです」

【次ページ】 UFCでいきなりタイトルマッチ

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