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「今年で辞めます」オリックス・T-岡田が現役引退を真っ先に報告した“生みの親”岡田彰布監督への感謝「あの3年間がなかったら…」
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byShinryo Saeki
posted2024/12/18 17:00
今季限りで現役引退を表明したオリックス・T-岡田
「T-岡田」に改名…第一印象は?
なにせ、姓が同じなのである。差別化を図るために監督が発案したのが登録名の変更で、ファンに公募したなかから選ばれたのが「T-岡田」だった。名が「貴弘」であることと、この時から186cm、93kgと大型選手だったため、ティラノサウルスの別名である「T.rex」とを掛け合わせたことが、名称の由来だとされている。
オリックスのレジェンドであるイチローが、鈴木一朗から登録名を変えた1994年。当時のプロ野球記録である210本のヒットを放ち大ブレークしたように、改名は若手選手にとって名誉なことでもある。
ただ、「T-岡田」への第一印象は「どうなんやろう?」と懐疑的だった。
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「イチローさんやったら、あれだけの成績を残しているんですぐ定着しましたけど、僕の場合はね。下の名前ならまだしも……」
4番への道のり
T-岡田としての1年目となる'10年。初めて開幕スタメンを勝ち取りながらも、4月の打率が1割台と滑り出しは悪かった。
幸運だったのは、チームを率いる岡田は、我慢の人であることだった。阪神時代の'05年、鳴り物入りで入団しながらくすぶっていた鳥谷敬を起用し続けて脱皮させたように、「これ」と決めた選手を信じ抜く。
オリックスでは、T-岡田がそれに該当する選手だった。打てずともスタメンを外さなかったのは、岡田がメディアを通じて語っていたように「将来は4番を打たんといかん素材」との深謀があったからだ。
「自分が成績を出せないなかでもずっと使ってもらっていたので、『早く結果を出したい』という気持ちはありました」
悩める4番候補が生まれ変わるきっかけを掴んだのは、4月27日からの札幌での日本ハム3連戦だという。いつものように室内練習場で全体練習前の早出特打ちをしていると、珍しく岡田が顔を出した。
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