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「美和さんの足元にも及ばないじゃん」TV取材にグラビア撮影…“第2の浅尾美和”と呼ばれた坂口佳穂の告白「もし引退しなければ…と思う瞬間もあった」
text by

吉田亜衣Ai Yoshida
photograph byL)Takahisa Hirano、R)Asami Enomoto
posted2024/12/06 11:06
ビーチバレボーラーとして活躍した坂口佳穂さん。インタビュー第2回では現役時代を振り返る
坂口 “第2の”とか言っていただくことも多くて、私もそこまでやらなきゃいけないんだ、と思うこともありました。でも私は、美和さんのような魅力は持っていなかった。美和さんの時代のチケットの売れ行きやメディアの多さを聞くたびに“足元にも及ばないじゃん”と。私はビーチバレー界に何も残せなかったな、と思っています。
――重荷に感じていたことは?
坂口 重荷ではなく、感謝しかありませんでした。スポンサーさんがいてくれたからこその競技生活。だから早く結果を出して感謝を伝えなきゃいけないという焦りはありました。
「もし引退しなければ…と思う瞬間もあった」
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最後のシーズンとなった2021年5月。日本代表決定戦に敗れ、目標にしていた東京五輪出場が叶うことはなかった。その後、一度はパリ五輪出場を掲げたが、「ビーチバレーが楽しいと思えなくなった」と前を向けなくなった坂口さんは引退を決意した。
――引退した時はすぐに切り替えられましたか?
坂口 引退を決めるまでは気持ちが落ちていたんですけど、味方でいてくれたのは今の旦那さんでした。どんなかたちであれ、応援してるから大丈夫だよ、と。それは大きかったな。ただ、移行期みたいな時に喪失感というか、いろいろ考えちゃう時はありました。やっぱりやめなければ……と思う瞬間もありました。
――ぽっかりと穴が空いてしまうような?
坂口 はい。自分の価値のギャップはありましたね。私にはもう何もないんだって思う瞬間が。ビーチバレーをやっていたから応援されていたけど、やめると応援されなくなるし1人ぼっちになった気分になる。その時、旦那さんがいてくれたから踏ん張れましたし、違う考えに持っていくことができました。
――東京五輪予選から3年が経ち、あの時戦っていた選手たちがパリ五輪に挑みました。パリ五輪は注目していましたか?
坂口 日本チームが出場できたのは本当に嬉しかったですね。金メダルを獲ったブラジル女子のブロッカー、パトリシア(アナパトリシア・シウバラモス)は私が初めて出場したワールドツアーの予選で対戦した相手。ネット際に壁があるかのように、めちゃくちゃブロックされたのを覚えています。あとは、5位に入ったスイスチームも、2018年の世界大学選手権で戦ってフルセットで悔しい負け方をしたペアでした。それを見て、もし私が続けていたら……と、思いましたよ。


