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「大山加奈や木村沙織も祝福」元バレー代表・栗原恵が電撃婚&妊娠発表、美しいドレス姿も話題に…40歳のいまだから話せる“プリンセス・メグ”の本音
text by
佐藤春佳Haruka Sato
photograph byMegumi Kurihara & Kouki
posted2024/12/03 11:02
今年9月に結婚と妊娠を発表した栗原恵さん(40歳)。夫のKoukiさんはモデル、写真家として活躍中
栗原さんは瀬戸内海に浮かぶ能美島で生まれ育ち、中学2年からバレー留学。強豪の三田尻女子高時代は、インターハイ、国体、春の高校バレーで優勝し脚光を浴びた。当時は春高バレーも地上波で中継があり、代表戦ならばゴールデン帯に生放送されていた華やかな時代。10代で全国の注目を集めた経験は、栗原さんにとってどのようなものだったのだろうか。
「実際に他競技の女子選手の話を聞くと、自分でスポンサーを探したり大変な時間を過ごしながら競技を続けている。そんな中で私たちは高校を卒業する前から春高バレーで取り上げてもらって、皆さんに応援してもらえる。バレーボールっていいよね、と言われてきましたし、恵まれた環境だというのは実感していました。ただ、私の場合は高校からいきなり日本代表に入ったので、最初はギャップの方が大きかったです。自分は上手になりたい、成長したいという気持ちが大きいけれど、日本代表は戦う場であり勝つための集団なんですよね。精神的にも技術面でもその土俵に立つまでに至っていないので、ひたすら追われているような感覚が強くて……やはり戸惑いが大きかったです」
ファンから逃げるように…
出待ちをしてくれているファンを前にして、逃げるようにバスに乗り込んでしまったこともある。カメラを向けられないよう、できるだけ目立たないように、と下を向いて過ごしたことも。
「ファンの方の思いはもちろん嬉しいんですけど、 調子に乗っていると思われないかなとか、先輩たちがあんなにやってくれていて私は下手くそなのにとか……。できるだけ目立たないように、ということばかり考えていました。今思えば本当にファンの方に申し訳なかったですよね。でも当時はそうするしかなかった。そうすることしか、自分を守る術がなかったのだと思います」
栗原さんが10代で代表に入った当時の女子バレーは、五輪の切符を逃した2000年シドニー五輪から、2004年のアテネ五輪へと至る過渡期にあった。新生ジャパンとして重圧がかかる中で、「メグカナ」は彗星の如く現れたスターだった。
「プレッシャーは全部、先輩たちが背負ってくれていました。吉原(知子)さんや竹下(佳江)さん、オリンピックを逃した悔しさを味わった方達もいた中の日本代表で、私はそこを知らないのにこんなに取り上げてもらって大丈夫なのかなって。自分より上手な人が控えに回っていることもありましたしね。今思えばそこを気にせずもっとガツガツ行ってもよかったんでしょうけど、私はそういうタイプじゃなかった。考えて考えて、どうしていいかわからなくて結局シャットアウト、みたいなタイプ。本当に不器用でしたね」