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モータースポーツPRESSBACK NUMBER
「宝塚音楽学校を辞めて」サーキットクイーンに…央川かこは「レースアンバサダーも一緒に闘っている気持ち」「優勝したら爆泣きです」
text by
渋谷淳Jun Shibuya
photograph byShiro Miyake
posted2024/12/06 11:03
央川かこの所属するTGR TEAM au TOM'Sは首位に立って振替で最終戦となった鈴鹿を迎える
——ライバル・チームのテントですか?
央川 そうなんです。だから自分たちのチームが抜いて順位を上げると、本当は「よっしゃ!」とか言っちゃいたいんですけど、我慢しておとなしくするようにしています。でも去年はテントに入れてもらったチームの車がクラッシュしてリタイヤしたときに思わず喜んでしまって……あれは反省しました(笑)。
——なるほど、レースアンバサダーも一緒に闘っているということですね。
央川 それはもう、本当にそういう気持ちです。
生まれたときから「宝塚に入りなさい」
——さて、レースアンバサダーというお仕事ですが、だれもが簡単になれるわけではありません。少しレースアンバサダーになる前の話も聞かせてください。央川さんは身長が172cmありますが、やはり子どものころはバリバリとスポーツをしていたのですか?
央川 それがスポーツは一切できなくて、死ぬほど運動音痴なんですよ。走るのは50メートル走が11秒くらいかかって余裕でビリ。ボールは投げられないし、水泳でクロールをしたら水面から顔が出ない。体育の授業は本当に大嫌いでした。ただ背だけは家族みんな高くて、母も私より1センチ高いんです。
——なるほど。それで小さいころは何をしていたのですか?
央川 歌やダンスを習っていました。実は宝塚で活躍する親戚が3人いて、私は生まれたときから父に「宝塚に入りなさい」と言われていたんです。兄は勉強ができて灘中、灘高、東大というキャリアを歩んだんですけど、私は生まれたときからアホだと言われていて……。全部、兄に持っていかれたんじゃないかと思ってますけど(笑)。
——親戚3人が宝塚歌劇団っていうのは驚きですね。それで央川さんも宝塚音楽学校に入るために小さいころから努力を重ねていたと。
央川 はい。学校に行く前にレッスンをして、学校が終わったらまたレッスンとか。休日もレッスンがよく入りました。厳しかったと思います。ただ、私は歌ったり、踊ったり、人前で何かするのが好きではなかったんです。だから本当に苦痛で、苦痛で……。