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「宝塚音楽学校を辞めて」サーキットクイーンに…央川かこは「レースアンバサダーも一緒に闘っている気持ち」「優勝したら爆泣きです」
 

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渋谷淳

渋谷淳Jun Shibuya

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photograph byShiro Miyake

posted2024/12/06 11:03

「宝塚音楽学校を辞めて」サーキットクイーンに…央川かこは「レースアンバサダーも一緒に闘っている気持ち」「優勝したら爆泣きです」<Number Web> photograph by Shiro Miyake

央川かこの所属するTGR TEAM au TOM'Sは首位に立って振替で最終戦となった鈴鹿を迎える

——それでも宝塚音楽学校は受験して、受かったんですよね。

央川 中学3年生のときに初めて受験して、最終試験で落ちたんです。そうしたら親にこれでもかというくらい怒られました。「落ちた理由を書き出してみなさい。それを1年間で克服しなさい」と。3日間、鬼詰めです(笑)。これはもう受からないとどうにもならないと思って、がんばって翌年に合格することができました。

——ところが、そこまでして苦労して入学した宝塚音楽学校を辞めてしまう。

央川 そうなんです。やっぱり好きになれなかったですね。でも、辞める人なんてまずいないので、最初は辞められないと思ってがんばっていたんです。そうしたら珍しく同期が1年もたたずに2人辞めて、「えっ、辞められるんだ」と思って。それで退学届を出して、学校からも親からも「もうちょっとがんばってみなさい」と引き留められたんですけど、意志が固かったので辞めました。

宝塚を辞めて親子の縁が切れそうに

——そうでしたか。それにしても厳しい親御さんがよく許してくれましたね。

央川 もちろん激怒されました(笑)。親子の縁が切れたと思いましたもん。それで家を出るみたいな話にもなったんですけど、最終的には和解して。親が「16年間、言うことを聞いてくれてありがとう。やりたいことができなくてゴメンね」と言ってくれて。また仲良くやっていこう、という話になりました。

——ご両親も「娘のためを思って」ということだったんでしょうね。それにしても息子が東大で娘が宝塚って……そんな家族どこ探してもいないと思いますけど(笑)。

央川 それで私が宝塚を辞めたということもあって、みんなで沖縄に住もうという話になりました。みんなで引っ越して、私は父の会社で秘書の仕事を始めたんです。18歳まで宝塚一筋で、社会のことを何も知らない。自分でもこれはヤバイという気持ちがあって、秘書の資格を取って沖縄で4年間、秘書をして過ごしました。

——宝塚を脱出して沖縄で安定した暮らしを送ると思いきや、ここからまた一波乱あるということですね。まだレースアンバサダーの話になってませんから(笑)。

央川 そうなんですよ(笑)。

——その話は後編でお伺いしましょう。

〈つづく〉

#2に続く
「私のファンの女の子がサーキットに来てくれることも」レースアンバサダー・央川かこの波乱万丈すぎる人生「実は今も“家出中”のままで(笑)」

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