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「褒められたことなんて一度もなかった」引退試合で青木宣親42歳が思わず涙…サプライズ登場の87歳恩師が耳元でささやいた“忘れられない一言”
posted2024/11/07 11:05
text by
佐藤春佳Haruka Sato
photograph by
Kiichi Matsumoto
【初出:11月8日発売のNumber1108号[挫折地点を語る]青木宣親「褒められたことは一度もなかった」より】
引退試合、87歳・恩師登場のサプライズ
引退試合の翌朝のことだ。とてつもない幸福感とともに午前4時ごろ眠りについた青木宣親は、7時に床を出るとすぐ都内のホテルに向かった。21年間背負い続けた“現役”の看板を降ろし、真っ先に会いたい人がいた。待っていたのは早稲田大学時代の恩師である野村徹・元監督だった。
「引退試合に来ていただいていて、そのまま泊まっていたんです。ホテルの朝食会場でOBの方々が監督を囲んで朝ご飯を食べながらお話ししていたので、僕も会いに行きました」
42歳になってもなお、恩師と顔を合わせれば思わず背筋が伸びる。
「花束を受け取った時の映像を見返したんですよ。僕、完全に学生に戻ってましたね。姿勢も表情も。やっぱり監督の前に出ると」。青木はそう言って照れ笑いした。
引退試合で、恩師の登場はサプライズだった。少し前に野村元監督の大阪の自宅に引退の挨拶をしに行った際、「東京行きは無理だ」と言われていた。87歳の名将はいま、難病と戦っている。「無理しないでください」。そう伝えていた。
覚悟を決めてのぞんだ4年間
早大の2学年後輩でヤクルトでも共にプレーした武内晋一(現球団職員)に支えられ、ゆっくりと歩いてくるその姿を見た途端、思いが溢れだした。花束を受け取り、耳元で一言、「よく頑張ったな」。恩師のその言葉で、感情のストッパーが外れた。後から後から涙が頰を伝った。
「忘れられない一言になりました。よく頑張ったな、って。本当に嬉しかったです。大学時代は僕、監督から褒められたことなんて一度もなかったですからね」
24年前、早大に入学した青木はまだ、何者でもない存在だった。宮崎の公立高校から、野球を続けるために猛勉強して指定校推薦を勝ち取った。当時の早大野球部は1学年上に和田毅(ソフトバンク)、同学年には鳥谷敬(元阪神・ロッテ)ら全国レベルの選手が揃っていた。青木は言う。
「鳥谷は最初からレベルが違いました。こういう選手がプロに行くんだな、と。身近にそういう存在がいたことは大きかった。 僕は右も左も分からないような状況で入って、覚悟を決めてのぞんだ4年間でした」
<後編に続く>
【番組を見る】NumberTV「#8 青木宣親 21年間、あがき続けた。」はこちらからご覧いただけます。