酒の肴に野球の記録BACK NUMBER
「大谷君の反応を見ながら」ダルビッシュ有、大谷翔平を料理した14球が芸術品…38歳長期離脱も“ボール投げ込み騒動”も平然の投球デザイン名人
posted2024/10/07 19:30
text by
広尾晃Kou Hiroo
photograph by
USA TODAY Sports/REUTERS/AFLO
大谷翔平、大谷翔平と言い続けているうちにメジャーリーグの1年が終わりそうな感じだが、ポストシーズンに入って、大谷だけでなく、山本由伸や千賀滉大など、他の日本人選手の大舞台でのプレーも見られるようになった。
とりわけ、ダルビッシュ有の復活は喜ばしい。
WBCでは“名リーダー”、大谷と共闘した
昨年の第5回WBC、ダルビッシュはコンディションが良くない中でも、あえて宮崎キャンプに入って、NPBの若い選手たちと交流した。
弾道測定器「トラックマン」を使ったデータの見方を若い投手に教えるとともに、佐々木朗希にスライダーを伝授したり、育成上がりの宇田川優希を励まし、仲間として迎え入れるなど、彼にしかできない役割を果たした。
そして大谷翔平が合流するや、2人してチームをまとめ上げた。
それは本当に素晴らしかったのだけども、ダルビッシュがリーダーシップを発揮すればするほど「投手」としてのダルビッシュの印象がかすんでいったことは否めない。
この大会、ダルビッシュは3試合に登板し6イニングを投げ7被安打3被本塁打2奪三振、自責点4、防御率6.00。チームとしての世界一を喜びながらも、投手としてのダルビッシュは忸怩たる思いだったのではないか。
なおWBCの直前にダルビッシュはサンディエゴ・パドレスと6年総額1億800万ドルの契約を結びなおしている。契約満了時には42歳になるが、チームの信頼感は篤かったのだ。
しかしこの年は8勝10敗、136.1回を投げて防御率4.56に終わる。「打高投低」のMLBにあっては極端に悪い成績とは言えないが、満足いくものでなかったのは事実だろう。
2024年に実現した大谷との初対戦。しかし…
そして2024年、ダルビッシュのパドレスと同じナショナルリーグのドジャースに大谷がやってきた。
ダルビッシュと大谷は、レギュラーシーズンでチームメイトだったことはない。しかしともに北海道日本ハムファイターズで「11」をつけた。日本ハムの背番号「11」は、過去に大島康徳、田中富生などの主力級がつけたことはあったが、絶対的なエースの番号になったのはダルビッシュからだ。
そしてそれを受け継いだのが大谷だ。
ダルビッシュが2005年から11年までつけた「11」は、1年おいて2013年から17年まで大谷がつけた。そして以後「空番」になっている。
リーグが違うこともあり、2023年までダルビッシュと大谷の対戦はなかった。