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プロ野球PRESSBACK NUMBER
大谷翔平につぐ“ドラフト2位”だった強打者は今「野球道具も全て友達にあげて…ニートでした」引退後に変化した“同期・大谷”への思い
posted2024/09/13 11:01
text by
佐藤春佳Haruka Sato
photograph by
KYODO
森本さんのスマートフォンには今も貴重な写真が残っている。2017年11月、MLB挑戦を表明した大谷の送別会を開いた時の集合写真だ。森本さんが幹事となって当時在籍していた同学年の選手を集め、札幌市内の寿司店で卓を囲んだ。主役の大谷もこの時ばかりは少しだけアルコールを口にして、みんなで和気藹々と語らった。
「翔平を含め高卒で入った3人と、大卒で入った選手を合わせて6人。メジャーリーグのチームがどうだとか、バッターがとか、そういう話は特にしなかったです。いつも通りの感じで、最後は『みんなでこれからも頑張ろう』という感じで終わりました。アメリカに行くからにはやっぱり一番の選手になってほしい。それは同い年のみんなの願いでした」
会計は全員で割り勘だった。当時大谷は推定年俸2億7000万円を稼ぐスーパースターだったが、同い年の選手たちがご馳走になるようなことはなかったという。それはむしろ、同じ仲間同士、嫌味のない自然な関係性の証でもあった。
「逆にそれが良かったですね。みんな同い年だし、ご馳走してもらったら何かちょっと引け目を感じるじゃないですか。同期入団というくくりでご飯を食べに行くときも、支払いはその場の年長者でカキさん(新垣勇人投手)とか。お世話になりました」
大谷がいなくなった日本で
大谷が海を渡った翌18年シーズン、森本さんは再び怪我に苦しめられていた。春先に左手有鈎骨の摘出手術を受け、リハビリからのスタート。イースタン・リーグでは持前の長打をアピールしたが、一軍に上がることはできずシーズンを終えた。10月、秋季キャンプ中の宮崎で突然の電話を受けた。「明日朝、スーツで球団事務所に来てくれ」。とうとう来たか……そんな思いだった。
「絶対にクビだと思いました。先輩の松本剛さんにも『お世話になりました。トライアウトは受けるつもりです』と挨拶して送り出されたほど。事務所に行ったら編成の方から『来季の契約をいたしません』と言われました。でもその後、『いたしません、が……育成で契約します』って。その場で『やります! 頑張ります!』って二つ返事でした」
森本さんは、前年の17年オフにも球団から呼び出しを受けていた。この時も同じシチュエーションでチームメートに挨拶をして送り出され、球団事務所に向かった。ところがなぜか「期待しているんだからもっと頑張れよ」と激励されただけで話は終わった。
「クビでもなんでもなくキャンプに戻ったらみんなに『お前まだおるやんけ!』って。送別会だからと言ってご馳走してくれた先輩もいたんですけどね。2年連続で“クビクビ詐欺”みたいになって(笑)。でも球団が期待してくれているんだな、ということは感じていました」