甲子園の風BACK NUMBER
「1、2年時ならフテくされましたが」東海大相模198cm左腕・藤田琉生…スカウトと原監督の“特大評価”「5年後ワクワクです」「大人の体になれば」
posted2024/08/25 11:01
text by
間淳Jun Aida
photograph by
Hideki Sugiyama
ずっと貫いてきたポーカーフェイスが崩れた。
アルプス席に頭を下げた東海大相模のエース・藤田琉生投手の目から涙があふれる。帽子を深くかぶって表情を隠す長身左腕の肩を原俊介監督が優しく叩いて短い言葉をかけた。
マウンドで貫いたポーカーフェイスが涙で崩れた瞬間
藤田は味方の援護を信じて、我慢強く投げ続けた。夏の甲子園、関東一との準々決勝。6回を終わって0-0。悔やんだのは7回表、プロも注目する関東一の4番・高橋徹平選手への初球だった。チェンジアップが真ん中に入り、左翼スタンドに運ばれた。
6回裏、藤田は無死一塁からバントを失敗して併殺打となっていた。その直後のマウンドで手痛い失点。ショックや動揺で一気に崩れそうな場面だったが、表情は変わらない。続く、5番・越後駿祐選手を直球で見逃し三振に斬るなど、ソロ本塁打だけの最少失点で食い止めた。
「1、2年生の頃は上手くいかないとフテくされ、感情が表情や態度に出てしまいました。春の大会でエースナンバーをもらって自分を変えるチャンスだと捉え、ゲームセットになるまで、どんな時も顔に出さないように意識してきました。エースはチームに良い雰囲気をつくらないといけませんから」
9回1死二塁の場面で降板するまで、藤田はポーカーフェイスを貫いた。高校野球の終わりを告げるゲームセット。さらに、試合後のインタビューで自身を支えてくれたチームメートや家族についての質問を受けると、込み上げる感情を抑えきれずに声を震わせた。
「神奈川制覇を成し遂げてから目標にしていた日本一を達成できませんでした。お世話になった方々に良い結果を届けたかったので悔しいです。これから先、もっと大きな舞台に立てる投手になりたいと思います」
進学かプロ志望届か…色んな方の話を聞いて
甲子園までの道のりは平たんではなかった。