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オリンピックPRESSBACK NUMBER
親友が突然がんを宣告され…「北口(榛花)さんを見ると森ちゃんを思い出す」池田久美子が語る、26歳で他界した砲丸投げ・森千夏との約束
text by
石井宏美Hiromi Ishii
photograph byAFLO SPORT
posted2024/08/09 11:02
2006年8月9日、26歳の若さで亡くなった森千夏さん。元同僚で、親交が深かった井村(旧姓・池田)久美子が思い出を振り返った
「なんかお腹痛いんだよね」
「風邪かな?」
森さんは病院を受診するがその痛みは何が原因なのか分からない。それでも下腹部の痛みは治まらなかった。発熱も続いた。すでにこの時点で病巣があったと考えられる。
アテネ五輪から帰国後は体調不良に入院を繰り返した。退院後も投薬治療などは続いたが、復調の兆しは見えない。そんな折、2005年4月高熱に襲われて病院を受診し、その後、虫垂がんが発覚する。
「森ちゃんのお母さんからすぐに電話が来て、知りました。森ちゃんは、毎日練習が当たり前、2部練が普通というくらい100%砲丸投げに懸けていました。だからそんな人に告知するのは本当につらかったと思います。でも、『私なんの病気なの?』と気にするタイプだし、現実を受け入れないと次には進めないから、って。実際に伝えたときは暴れて大変だったらしいですけどね」
ショックよりも「今、森ちゃんならこう思うっているはず」と当事者的感覚だったという井村さん。森さんが「痛い」とか「気持ち悪い」と人に言えず我慢してしまうタイプゆえ、せめて自分くらいは気を遣わせないでいようと考えていた。
部屋に飾っていた手紙が落ちた
抗がん剤やモルヒネの影響で日々体調の変化が激しく、森さんの母から今日は調子がいいと聞いていても、「やっぱり無理かも」と言われ、5分後には病室を後にすることも多々あった。
一進一退の病状が続いた。100kgほどあった体重も半分近くまで減った。薬の影響で髪は抜け、痛みも増した。精神的にも追い詰められパニック障害と診断された。そんな状況でも決して失われることのない森さんの砲丸投げに対する愛情に圧倒されたという。
「命ある限り、自分は絶対に復帰するんだって。それはいつも話してましたね」
そんなある日、井村さんが福島の自宅にいると、部屋に飾った額縁が前触れなく、突然落ちてきた。
「久美ちゃん頑張って。日本記録出してね」
森さんが病室のベッドの上で、震えながら精一杯の力を振り絞って書いた手紙だった。
「その後、森ちゃんのお母さんから連絡が来たんです。意識がなくなったって。合宿で北海道に行った後に、亡くなったと連絡をいただきました」