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男子バレー“笑顔の守護神”に壮絶な過去「あの頃は、ほぼご飯食べてなかった」リベロ山本智大(29歳)がどん底から日本代表のチャンスを掴むまで 

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米虫紀子

米虫紀子Noriko Yonemushi

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photograph byXinhua/AFLO

posted2024/08/02 11:37

男子バレー“笑顔の守護神”に壮絶な過去「あの頃は、ほぼご飯食べてなかった」リベロ山本智大(29歳)がどん底から日本代表のチャンスを掴むまで<Number Web> photograph by Xinhua/AFLO

日本代表を支えるリベロ山本智大(29歳)

 FC東京は2022年に休部となり、ネイチャーラボにチーム全体が譲渡され、プロチームの「東京グレートベアーズ」として生まれ変わったが、当時は東京ガスがFC東京を運営する組織の筆頭株主だった。選手のほとんどが東京ガスのグループ会社に雇用されており、平日の午前中は社業に従事していた。

 山本は体育館の近くに住んでいたが、職場が遠かったため、毎朝5時半に起床し、6時の電車に乗った。仕事は営業。家庭を訪問してガス警報器を取り付けたり、ガス栓の開閉や点検などをして回った。

 昼に仕事を終えると1時間以上かけて体育館に向かう。全体練習は15時からだったが、その前に自主練習や全体練習の準備をするため、昼食もそこそこに、電車に飛び乗った。

「あの頃はほぼご飯食べてなかったです」と苦笑する。

 全体練習が終わるのは18時頃で、そこからまた自主練習。体育館の片付けや戸締りをして、家に着くのは21時を過ぎる。疲れ果て、食事を作る気力も時間もないため、コンビニの弁当や惣菜、牛丼店などで済ませて23時頃に床に就く。

 限られた一日の時間の中で、食事よりも自主練習を優先した。とにかくうまくなって、いつかチャンスをつかむのだという一心だった。

「今思うと、考えられない生活してましたね(苦笑)。筋トレも疎かになって、食事もまともにしないという生活を送っていたので、そりゃあ筋肉つかないよなと。今より10kgぐらいやせていました。

 難しい1年でしたけど、そこを耐えられたのは、今となっては大きいかなと思います。腐らず、毎日コツコツ練習したことはよかった」

日本代表につながる堺ブレイザーズへの移籍

 シーズン後、山本は移籍希望届を提出。堺ブレイザーズで長年活躍したリベロの井上裕介が引退したタイミングだったこともあり、堺への移籍が決まった。2018年のことだ。

 2018-19シーズンのVリーグでは開幕からレギュラーをつかみ、2019年に日本代表に初選出された。どん底から、日本代表へ。1年で立ち位置が激変した。

「本当に運がいいというか、タイミングがよかった」と振り返る。

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