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パリ五輪“金メダル有力候補”が「世界的ボクシングカメラマンに憧れた」高校時代…「弟子にしてください!」岡澤セオンの“アツすぎるメール”秘話 

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渋谷淳

渋谷淳Jun Shibuya

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photograph byNaoki Fukuda

posted2024/07/27 11:01

パリ五輪“金メダル有力候補”が「世界的ボクシングカメラマンに憧れた」高校時代…「弟子にしてください!」岡澤セオンの“アツすぎるメール”秘話<Number Web> photograph by Naoki Fukuda

パリ五輪のボクシング71kg級に出場する岡澤セオンと、カメラマンの福田直樹。高校時代、岡澤は福田に「弟子入り」を志願したことがあるという

「弟子にしてください!」高校生から届いた熱いメール

 当時を振り返る岡澤の語り口は少し興奮気味だ。

「感動したんですよ、こんな日本人がいるんだって。僕はボクシングオタクでWOWOWの『エキサイトマッチ』を毎週楽しみに見ていたんです。ぼんやり将来もボクシングに関わりたいと思っていたけど、ボクシングに関わる仕事なんてないと思っていた。そうしたらこんな仕事があった。カメラマンになったら一生ボクシングに関われる。番組を見るまではレコード屋さんになりたかったんですけど、気がついたら福田さんに『アメリカに行きます。弟子にしてください!』みたいなメールを送っていました」

 岡澤は高校からボクシングを始めたこともあり、3年生になってようやく全国大会に手が届くくらいの実力だった。選手としての将来が拓けていたわけではなかった。それでもボクシングが大好きで、ボクシングから離れたくないと思っていた。そんな高校生の目に映った福田はとてもまぶしかった。

 当時ラスベガスで奮闘していた福田も、岡澤からのメールをよく覚えている。

「番組を見て感動しました。ボクシングのカメラマンをやってみたい。いろいろ教えてほしい。今からやっておくべきことはあるでしょうか……。そんな内容でした。僕は昔から社会人や大学生、高校生のボクシングも大好きだったので、選手からメールをもらって本当にうれしかった。そもそもボクシングのカメラマンになりたいなんて人はあまりいませんから、驚きもありました。私からは、デジタルカメラは日々進歩しているので、写真をやるにしても基礎をおさえておけばいい、今はボクシングをがんばるといいですよ、みたいな返信をしました。でも、彼は慌てていたのかもしれないですね。最初のメールには名前が書いてなかったんです(笑)」

 2度目のメールには「岡澤セオン」という名前と、自分が日本人とガーナ人の両親を持つミックスルーツであることが書かれていた。それに対して福田が返信し、メールのやり取りは自然に途絶えた。岡澤は中央大に進んでボクシングを続け、アメリカで数々の栄誉を受けた福田は2016年に帰国、活動の拠点を日本に移した。

【次ページ】 後楽園ホールでの初遭遇「あのときの高校生か…」

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