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交通事故被害から“4年半ぶり”の復帰、現在は監督業…バレー・斎藤真由美(53歳)を奮い立たせた「大ケガを負った母からの言葉」
text by
市川忍Shinobu Ichikawa
photograph byMiki Fukano
posted2024/07/25 17:02
現在は群馬グリーンウイングスで監督を務める斎藤真由美さん(53歳)
「コートに立てるのはいつなのか、ユニフォームに袖を通すまでどれくらい時間がかかるのか全くわからない。ちょうどオリンピックが開催されていた時期だと思うのですが、バレーボールを全く見る気になれず自暴自棄になりかけたこともありました。そんなとき、リハビリを見ていてくれた医師が小学校のバレーボール練習に連れて行ってくれたんです」
北海道のとある小学校で、決して強豪ではないチームだった。
「本当にへたっぴなんですよ。ボールは返せないし、ボールが来たら逃げる子もいる。だけど『上手くなりたい』という思いは強くて、『教えて、教えて』って目をキラキラさせて寄ってくるんです」
そこで斎藤さんは初心を思い出す。自分はバレーボールを楽しみたいという思いで競技を始め、続けてきたのではないか。自分もかつて、こんな目をしてプレーしていたんだろうなと思いを馳せた。
同時に「今はこんなにボロボロだけど、このキラキラした目を取り戻したい」と思うようになった。それからは苦しいことを前向きに捉えるよう努力した。「今日はここまでしか歩けなかった」ではなく「今日はここまで歩けるようになった」「今日は少し小走りできるようになった」と考えることで、後退することもあるリハビリトレーニングに前向きに取り組めるようになる。
1年、2年、3年と年月は過ぎたが、自分のもとに届くファンからの手紙にも励まされた。待っていてくれる人がいると思うと、ありがたかった。こうして心の傷と体の傷、両方が徐々に回復していった。
交通事故から“実に4年半”ぶりの復帰
そしてこの過酷なリハビリの経験が、のちに斎藤さんの進む道を変えることとなる。
1996年、イトーヨーカドーの主将として選手に復帰。交通事故から実に4年半が経っていた。
その後、斎藤さんはダイエー・オレンジアタッカーズへ移籍。ダイエーから団体移籍したパイオニアではチームの1部昇格に貢献する。パイオニア・レッドウィングスと改名したチームで2003-04年シーズン、プレーヤー兼コーチとしてチームをVリーグ初優勝に導いた。
膝の故障が悪化したこともあり、残念ながら2004年4月1日に現役を引退することとなったが、大けがを克服し、Vリーグの優勝トロフィーを初めて東北にもたらした姿はバレーボールファンの記憶に強く刻まれることとなった。
考え続けた、バレー選手の“セカンドキャリア”問題
交通事故による大けがからの復帰と、後遺症が原因とも考えられる故障との闘いに明け暮れた現役生活を送ったこともあり、斎藤さんはリハビリ期間中から選手のセカンドキャリアについて考えるようになっていた。