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「もし覚悟が決まったら…」今井月23歳が悩んだ“パリ五輪落選からの2週間”…打ち明けた“進路”への思い「最後は自分が決めることなので」
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byTsutomu Kishimoto/PICSPORT
posted2024/07/22 11:03
若くして注目を浴び、日本代表としてリオ五輪に出場した競泳の今井月(現在23歳)
オリンピックに行けない…しんどかった2週間
プールを上がると、ミックスゾーンでの取材に応じることなく、そのまま通過し引き上げた。
「何も答えたくなかったです。誰にも会いたくなかったですね。それから最初の1週間は本当にしんどくて、あまり人にも会いたくなくて、いろいろな人からたくさんメッセージをいただいたんですけれど、返せなかったです。躁鬱みたいな感じで、大丈夫だと思う瞬間もあれば、『あれ? 自分、オリンピック行けないの?』という夢みたいな感覚がありました。夜が本当にしんどかったです」
それでも時は過ぎる。
「2週間ぐらいで自分はよくなったのかな。何かきっかけがあったわけではなく、時間が解決してくれた感じです」
今、レースを振り返り、こう語る。
「隣が鈴木聡美さんで、スピードがあって前半飛ばしてくるだろうなと予想していたので、自分は惑わされずに行けたらいいなと思っていました。ただ、あまりにも(聡美さんの)前半が速かったので、『飛ばしてくるな』という焦りみたいなものもちょっとあったのかもしれないですね」
「100mから150mは落ち着いて少しずつ距離を縮めていこうという感じで追い始めたんですけれど、150mをターンしてスイッチを入れたら、エンストみたいな感じで急にバテてしまって。150mをターンして最初の15mで1回前に出たんですけど、そこから体が止まった感じでした」
「人生が変わってしまうって思いすぎて…」
レースそのもの以前の状態にも触れた。
「日頃から、私生活から力んでいた気がしますね。泳ぎでぱっと見て分かるものではないんですけれど、どこか筋力的な部分で使いすぎている感じもあったなと思います。言葉で表すのが難しいんですけれど、なんだろうな……常にちょっと“ハイ”になっているような感じもありました。
もう少し、自分に期待せずに行けばよかったなって思うのと、このレースで人生が変わってしまうって思いすぎて、自分にプレッシャーをかけすぎたというのもあります。もしパリに行けたら4年後(のロサンゼルス五輪)も挑戦しようと考えていました。『この試合で人生が変わってくるな』と考えていたのには、そういう思いもありました」
飯塚コーチからも言われていたという。
「『君のピークは27歳だ』って。ロスが終わっても32歳まで、と言われていました(笑)。選考レース後にも『100回やったら93回勝てるレースで負けた』みたいな感じで言われて、『力としては絶対上がってる。ここでやめるのはもったいない』とも言われましたね」
悔いを残す部分がないわけではない。それでも、やりきったという思いはある。
「環境を変えて3年目だったんですけど、本当に納得のいく水泳と練習ができていました。飯塚先生ときつい練習をボロボロになりながら毎日乗り越えてやってきていたので。あれ以上できなかったなって思います」