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戦力外通告に「やっとか…」大谷翔平の“ドラ4同期”はなぜ野球を続けなかった? 宇佐美塁大29歳が明かす「大谷世代」引退後の意外な現在 

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佐藤春佳

佐藤春佳Haruka Sato

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posted2024/06/28 11:02

戦力外通告に「やっとか…」大谷翔平の“ドラ4同期”はなぜ野球を続けなかった? 宇佐美塁大29歳が明かす「大谷世代」引退後の意外な現在<Number Web> photograph by NumberWeb

現役引退後は、広島市内でバーを経営しながら、野球教室も行っている宇佐美塁大さん(29歳)

「最後はキャッチボールも辛かった」

 プロ3年目、宇佐美さんは内野から外野にコンバート。精度の高い送球を求められることから一時的に解放されることで、浮上のきっかけを掴み始めていた。広島工時代に高校通算45本塁打を放った長打力が開花し始め、イースタン・リーグでも前半戦で5本塁打を放った。

「(当時西武の)山川(穂高)選手がまだ二軍にいた時期でホームラン争いをしていたような感じでスタートを切っていて本当に調子が良かった。やっと掴みかけた手応えを感じていて、そろそろ一軍にも上がるんじゃないか、という雰囲気も出てきた。でもその頃に怪我をして……ハムストリングスの肉離れでした」

 プロ4年目の2016年は二軍で90試合に出場、17年は同65試合に出場しいずれも10本塁打。焦燥感の中で太もも裏の故障を繰り返し、なかなか一軍に上がれない苦しい時間が続いた。この間も「イップスのような感じ」というスローイングの不安はずっと抱えていた。色々なことを試したが、投げることへの怖さは払拭出来ないままだった。

「最後はキャッチボールも辛かった。メンタルの勉強をしに行ったこともあります。さらに怪我をしてリハビリをして、でも結果を出さないといけない。それがオーバーワークにつながってまた怪我するというような感じがあって、一番辛かったです」

引退後、忘れられない“大谷翔平からの言葉”

 17年10月6日、球団から戦力外通告を受けた。驚きはなかった。社会人野球や独立リーグから誘いはあったが断り、現役引退を決断した。

「驚きはなく、どちらかというと『やっとか』という思いでした。試合もどんどん出られなくなっていたので自分の立場はわかっていました。野球を続ける道は全く考えなかったです」

 宇佐美さんが引退を決意した同じ時期、大谷翔平はメジャー挑戦を決めた。当初は誰もが懐疑的だった二刀流で躍動し、16年にはエース兼主軸として日本ハムのリーグ優勝、日本一を叶えたその先で、大きな夢へ歩み始めた。宇佐美さんは一度だけ、大谷に「一緒にアメリカについて行きたい」と言い出したことがある。

「あの時は自分の軸も定まっていなくて、この先どうしようと思った時にふと、大谷翔平のもとにいてみたいという気持ちが湧いてきたんです。一緒について僕も何かしてみたい、って」

 大谷からは、LINEで「塁大が本気で何かをしてみて、その先で協力できることは絶対にするから」と返信があった。はっきりダメだとも、来いとも言いはしなかったが、その言葉が意味するところを、宇佐美さんは深く読み取った。

「今は俺の夢に一人で挑戦させてくれ、とも取れるし、お前はもっとできるぞ、それでいいのか、という激励にも聞こえる。色んなことが込められている言葉だと思っています。今でもその言葉は忘れないです」

【次ページ】 大谷の結婚は「想像できなかったから意外で」

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