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プロ野球PRESSBACK NUMBER
バー店主に転身した“大谷翔平のドラ4同期”「彼をウリにしたくない」ワケは…大谷の隣で「ただ精一杯だった」宇佐美塁大の“プロ5年間”
posted2024/06/28 11:01
text by
佐藤春佳Haruka Sato
photograph by
NumberWeb
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広島を代表する歓楽街・流川。飲食店のネオンが縦長に並ぶビルの一角にその店はある。カウンターとテーブルが少し。シンプルな作りの店内に、野球にまつわる装飾は何ひとつない。選手のサイン色紙はおろか、ボールやバットといった道具も。ふらりと店に入った客は、店主が数年前までプロ野球の世界で戦っていた選手とは気づかないだろう。ましてやあの大谷翔平の同期入団で、駆け出しの時期に誰より近くにいた存在だったなんて。
店内に大谷グッズは置かない
「野球関係の物は最初から置いてないです。そういう色を見せずにやりたいというか、自分から言うのも違うと思いますし……。あまり宣伝もしていないですし、知っている人がその友達を連れてきて、というような感じでやっていますね。(大谷を売りにはしない?)そういうことはしたくないです。単純に彼も嫌がるでしょう」
店名は「BIG BASE」。言うまでもなく、宇佐美さんの名前である「塁大」からきている。野球熱が高い広島出身。名前の真ん中に「塁」を据えた彼の野球人生とは、そもそもどのようなものだったのだろうか。
愛媛・西条市生まれだった宇佐美さんの父は、西条農業高から亜細亜大と野球を続け、社会人野球のNTT中国(2003年に解散)でプレーした外野手だった。宇佐美さんが生まれた頃には現役を引退していたが、その思いを名前の一字に受け継いだ少年は物心ついた時からボールを手にしていた。「広島南リトル」で硬式野球を始め、中学時代は「府中広島’2000ヤング」に所属。もちろん、カープ少年だった。
「野球をやる人生なんだな、とは勝手に思っていました。でも小中学校の頃は背も低くて小柄。セカンドを守って下位打線を打つような“守備キャラ”だったんです。レギュラーで試合に出られるか出られないか、くらいの選手。野球やめようかな、って感じでその頃はいい思い出なんて全然なかった」