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スポーツ名言セレクションBACK NUMBER
サッカー日本代表から消えた天才「ぷらっとしてます」流浪のMF、中田英寿が「ゾノを呼んで下さい、岡田さん」トガっていた前園真聖への信頼
text by
NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph byKazuaki Nishiyama
posted2024/06/10 17:01
日本代表時代の前園真聖。盟友である中田英寿とコンビネーションを見せる
サッカーから離れるとまず目指したのはプロゴルファーで、何度かテストを受験したものの合格には至らず。その後は大工や塗装業、焼き鳥屋を転々とし、2023年10月には民放テレビ番組にヒゲを蓄えた姿で出演した姿も話題になった。
言わば“流浪の自由人”のような人生を送っている礒貝だが……実はその親戚である礒貝飛那大(ひなた)が、2023年末にフットサル日本代表で初招集を受けている。飛那大が、フットサル日本代表という舞台で結果を残せば……埋もれた天才・礒貝洋光の存在が再びピックアップされるかもしれない。
“ラモス後の10番”を背負った岩本の本音
<名言2>
日本代表は、僕にとって「雲の上のような存在」でした。
(岩本輝雄/NumberWeb 2018年6月8日配信)
https://number.bunshun.jp/articles/-/830942
◇解説◇
いわゆる「ドーハの悲劇」後、ファルカン監督体制になった日本代表には1つの注目点があった。ラモス瑠偉が背負った「10番」を誰が背負うか、である。そのエースナンバーを預けられたのは岩本だった。
岩本はJリーグ参入したベルマーレ平塚(当時)にあって、左足での創造性を武器にチームの躍進に貢献していた。それをファルカン監督は見逃さず、94年5月の親善試合で代表デビューを果たした。当初のポジションは左サイドバックだったが、同年9月の親善試合と10月のアジア大会では本来のポジションである攻撃的MF、さらにはナンバー10を背負うことになった。
「自分の番号ではないっていう感覚でしたね。それでも期待してもらっている以上、つけるしかなかった」
岩本はこのように当時を本音で述懐している。
「振り返れば、日本代表のこともすべて…」
そんな彼が日本代表として臨んだ唯一の公式戦が、アジア大会だった。
しかし当時、Jリーグは「超」がつくほどの過密日程だったこともあり、岩本のコンディションは低下していた。目立った活躍はできず、チームは準々決勝で敗れてファルカン監督も解任された。
そして岩本の代表キャリアも、結果的にこの韓国戦でラストとなった。わずか半年間の代表生活だった岩本。それでも日本代表での日々をこのようにも振り返っている。