F1ピットストップBACK NUMBER
シャルル・ルクレールに母国モナコGP初優勝をもたらした超スローペース戦略の妙「チームは『もっと落としてくれ』と…」
text by
尾張正博Masahiro Owari
photograph byGetty Images
posted2024/05/31 11:00
念願だったモナコでの優勝を成し遂げ、歓喜のルクレール。18年のF1デビュー以来6回目の挑戦での勝利だった
その後、燃料が軽くなるにつれてルクレールのペースは徐々に上がっていくが、必要以上に速く走ることはなかった。なぜなら、自分がペースを上げて後続に20秒以上の差をつけると、後続のドライバーにピットストップせざるを得ない機会を与えることとなり、そうするとニュータイヤで攻撃される可能性が生じるからだ。
「チームは『もっとペースを落としてくれ』と無線で指示してきたんだ。でも、僕にとっては決して楽ではなかった。なぜなら、ラップタイムを落とすことで自分のリズムを見失い、ブレーキングをミスしやすくなるからね」
それでも、ルクレールが集中力を切らすことはなかった。
父の思い出とともに
「だって、ここは僕がF1ドライバーになるという夢を抱かせてくれたグランプリだから。小さかったとき、父親と一緒に観戦したことをいまでも覚えている」
父親のエルヴェは2017年6月20日、長期にわたる闘病の末に死去した。当時F2に参戦していたルクレールは、4日後に行われたアゼルバイジャンでのレース1で悲しみに打ち勝ちポール・トゥ・ウィンを飾った。
この日もルクレールの心の中にエルヴェがいた。残り2周、ルクレールはようやく優勝を確信すると、感情を抑えることができず、目に涙を浮かべながらチェッカーフラッグを目指していたという。
78周目、F1史上初めてモナコ人ドライバーがモナコGPでトップチェッカーを受けると、モナコ港に停泊していたクルーザーから一斉に祝砲が上がった。
「チェッカーフラッグを受けた後、スタンドやバルコニーをはじめ、サーキットにいる大勢の人たちが祝福しているのが見えた。優勝するために、あるいは少なくともあらゆる可能性を確保するために、今日はどんな作戦でもやるつもりだった」
超スローペース、抜けない市街地コースに多くのドライバーやファンから批判が集まった今年のモナコGP。それでもそれが、だれよりもモナコを知り、だれよりもモナコを愛し、だれよりもモナコで勝ちたかったルクレールが決断した乾坤一擲の戦略だったとしたら、私はこういうモナコGPも決して嫌いではない。