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シャルル・ルクレールに母国モナコGP初優勝をもたらした超スローペース戦略の妙「チームは『もっと落としてくれ』と…」

posted2024/05/31 11:00

 
シャルル・ルクレールに母国モナコGP初優勝をもたらした超スローペース戦略の妙「チームは『もっと落としてくれ』と…」<Number Web> photograph by Getty Images

念願だったモナコでの優勝を成し遂げ、歓喜のルクレール。18年のF1デビュー以来6回目の挑戦での勝利だった

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尾張正博

尾張正博Masahiro Owari

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「DAGHE CHARLES」(ダギー、シャルル)

 グランプリ開催期間中、モナコの街中にはこんなフラッグがあちこちに掲げられていた。モナコの公用語はフランス語だが、モナコ公家のグリマルディ家がジェノア人であることから、ジェノアの言葉がモナコでも方言として地元の人々の間で使用されている。「DAGHE」とは「行け」という意味で使用されるモナコの方言。そして母国人ドライバーのシャルル・ルクレールを応援する合言葉でもある。

 そのフラッグはお店やレストラン、そしてモナコ市街地サーキットのコースに面したアパートのテラスだけでなく、1863年に開業したモナコ最古のカジノである「カジノ・ド・モンテカルロ」の壁面にさえも掲げられていた。その理由は、モナコGPがF1で最も歴史あるグランプリのひとつであるにもかかわらず、母国人ドライバーが優勝したことがなかったからだ。

 F1が誕生した1950年、グランプリは年間で7回開催された。イギリスGP、モナコGP、インディ500、スイスGP、ベルギーGP、フランスGP、イタリアGPだ。

 その後、イギリスGPは55年にスターリング・モスが母国人として初優勝。インディ500はF1のシリーズに組み込まれた1950年にアメリカ人のジョニー・パーソンズが優勝。フランスGPは79年にジャン=ピエール・ジャブイーユがフランス人として初めて母国に錦を飾った。イタリアGPはF1初年度の50年にジュゼッペ・ファリーナが地元で優勝。50年にF1が開催され、今年カレンダーに組み込まれている伝統のグランプリの中で、母国人ドライバーが優勝したことがないのはベルギーGPとモナコGPの2つだった。

ルクレールが逃した2度のチャンス

 現在、F1に参戦しているドライバーにベルギー人はいないため、今季、母国人ドライバー初優勝の可能性があったのはモナコGPだけだった。

 モナコGPで母国人ドライバーが優勝する機会は過去に2回あり、ともにドライバーはルクレールだった。最初のチャンスは21年。ルクレールはポールポジションを獲得したものの、予選中のクラッシュによりギアボックスにダメージを負い、決勝レース前のレコノサンスラップ中に問題が発生。緊急ピットインしたルクレールはグリッドに着くことなくレースを終えた。

【次ページ】 モナコならではの決断

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