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「やめます。もう肩が動きません…」東洋タイトルを失い内藤律樹は泣き崩れた…父はカシアス内藤、ボクシング界の“消えた天才”が再起するまで 

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関根虎洸

関根虎洸Kokou Sekine

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posted2024/05/14 11:10

「やめます。もう肩が動きません…」東洋タイトルを失い内藤律樹は泣き崩れた…父はカシアス内藤、ボクシング界の“消えた天才”が再起するまで<Number Web> photograph by Kokou Sekine

2014年2月10日、無敗のまま9連勝で日本スーパーフェザー級王座に輝いた内藤律樹。父のカシアス内藤、『一瞬の夏』作者の沢木耕太郎氏と

オーストラリアでラストチャンスに懸ける内藤律樹

 リッキーこと内藤律樹は、2023年12月2日にオーストラリアで行った2年ぶりの復帰戦に続き、これで2戦2勝2KO。2024年3月15日に行われた今回の試合は、WBCオーストラリア・スーパーライト級タイトルが懸けられていた。

 世界の主要4団体に数えられるWBCだが、オーストラリアタイトルとなるとタイトルそのものの価値は高くない。しかし昨年末にリッキーが3年間のマネージメント契約を結んだオーストラリア人マネージャーのブレンドンには、この試合に勝利してリッキーをWBCランキングに復帰させたい思惑があった。

 一昨年に自身がマネージメントする世界ランカーのスパーリングパートナーとして日本から呼び寄せたリッキーに可能性を感じたブレンドンは、WBCに承認料を払って世界ランキング入りを狙うためのタイトルマッチをセットアップしたのだ。ブレンドンの期待と思惑はリッキーも十分に理解していた。オーストラリアで活動していく上で負けることの許されない試合を、リッキーは鮮やかなノックアウトで勝利した。

 日本で活動していた頃のリッキーなら、リスクを冒さずに判定の勝負になっていたかもしれない。2011年のプロデビューからリッキーの担当トレーナーとして活動してきた私には、その変化がはっきりと見て取れた。クイーンズランド州のトゥーンバにあるジムに住み込みで練習しているリッキーは、ボクサーとしてキャリアのラストチャンスに懸けている。

大橋秀行が言った「お父さんにそっくりだね」

 内藤律樹、32歳。元日本スーパーフェザー級、元東洋太平洋スーパーライト級チャンピオン。父は元日本、東洋太平洋ミドル級チャンピオンのカシアス内藤。リングネームのカシアスは、黒人米兵だった父と日本人の母の間に生まれたミックスルーツだったことから、カシアス・クレイ(後のモハメド・アリ)に因んで名付けられた。

 父カシアスのボクサーとしての晩年は、ノンフィクション作家・沢木耕太郎氏の『一瞬の夏』に描かれている。2005年2月1日に沢木氏の尽力もあってE&Jカシアスジムが横浜の石川町にオープンした。中学1年生だったリッキーは野球部の練習が終わると、そのまま両親のいるジムへ足を運んでいた。一方、2002年にプロボクサーを引退した私は、以前から付き合いのあった内藤さんがジムをオープンすると知って、本業のカメラマンをしながらトレーナーとしてジムを手伝うことになったのだ。

【次ページ】 一時はWBC7位も…世界戦線から脱落

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