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「やめます。もう肩が動きません…」東洋タイトルを失い内藤律樹は泣き崩れた…父はカシアス内藤、ボクシング界の“消えた天才”が再起するまで 

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関根虎洸

関根虎洸Kokou Sekine

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posted2024/05/14 11:10

「やめます。もう肩が動きません…」東洋タイトルを失い内藤律樹は泣き崩れた…父はカシアス内藤、ボクシング界の“消えた天才”が再起するまで<Number Web> photograph by Kokou Sekine

2014年2月10日、無敗のまま9連勝で日本スーパーフェザー級王座に輝いた内藤律樹。父のカシアス内藤、『一瞬の夏』作者の沢木耕太郎氏と

 シャイな少年だったリッキーのボクシングは、初めから他の練習生とまったく違っていた。ジムでは大人たちに囲まれて口数の少なかったリッキーが、まだ遊びの延長のままボクシングを始めて3カ月が経った頃に出場したスパーリング大会では、フットワークを使って相手の少年を翻弄する姿に驚かされた。

「お父さんにそっくりだね」

 たまたま居合わせた大橋ジムの大橋秀行会長は、感心した様子で会場にいた私に語り掛けた。その言葉は「スゴい才能だね」という意味を含んでいたはずである。元世界チャンピオンの大橋さんは、私にとってヨネクラジム時代の先輩にあたる。大橋さんによると、中学生の頃にリッキーの父・カシアス内藤と同じジムで練習したことがあるのだという。

 高校に進学すると3年時には選抜、インターハイ、国体の三冠を達成するなど、「カシアス内藤の長男」という話題性だけでなく、実力が認められてメディアにも紹介されるようになっていった。

 この頃、同じ神奈川県の1年生で高校三冠を制したのが、後にプロで2階級の4団体統一世界王者となる井上尚弥である。選抜、インターハイ、国体と、井上とリッキーは1回戦から決勝まで同じ神奈川代表として一緒に過ごした。「日本ボクシング史上最高傑作」として世界中のボクシングファンから注目を集める井上との親交は、今も続いている。

一時はWBC7位も…世界戦線から脱落

 68戦59勝(20KO・RSC)9敗のアマチュアキャリアを終えると、2011年にプロデビュー。2014年に9連勝で無敗のまま日本スーパーフェザー級チャンピオンに駆け上がり、伊藤雅雪(後のWBO世界スーパーフェザー級チャンピオン)との無敗対決を制して3度目の防衛に成功すると、世界ランキングはWBC7位まで上昇した。

 ジムの設立にも協力した作家、沢木耕太郎氏のサポートもあって、マニー・パッキャオが練習するハリウッドのワイルドカードジムでスパーリング合宿を行った。さらにゲンナジー・ゴロフキンが高地トレーニングを行うビッグベアーのキャンプに参加するなど、いよいよ世界への気運も高まっていた。

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