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バド東野有紗の母が語る“わたがしペア”奇跡の結成秘話…震災後、福島に戻って組んだ運命の人「勇大は本当にやさしい子なんですよ」 

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石井宏美

石井宏美Hiromi Ishii

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photograph byItaru Chiba

posted2024/05/02 11:07

バド東野有紗の母が語る“わたがしペア”奇跡の結成秘話…震災後、福島に戻って組んだ運命の人「勇大は本当にやさしい子なんですよ」<Number Web> photograph by Itaru Chiba

今年1月のマレーシアオープンで優勝した“わたがし”こと渡辺勇大&東野有紗ペア。パリ五輪では2大会連続のメダルが期待される

「何度も相談していたみたいなんですが、そのキャプテンに『こんなに強いのに、富岡でなんでバドミントンを続けないの』と言われたらしくて。その言葉を聞いて、それもそうだなと思ったんだって。『お母さんも戻ろうと言ってくれているし、だから決めた、私、猪苗代に行くよ』と」

 全国から集まった仲間たちのもとへ戻った東野は、以前にも増して周りのサポートに対する感謝の気持ちを言葉にするようになった。

「バドミントンは一人ではできない。見えないところで、誰かが関わってくださっている。だからこそ私はバドミントンが出来ているんだって。震災も経験した福島での6年間の生活を通して、有紗に一本芯が通ったと感じました。ここ一番で力を発揮できるような精神力、人への思いやりの心が強くなった。有紗のターニングポイントになったと思います」

娘が弱音を吐いた時に母がとった行動とは?

 思春期真っ只中で、もちろん東野も弱音を吐くことが何度もあった。

「練習がきつい、叱られた、試合に負けた、うまくプレーできない……とか。中学生、高校生の学生さんが普段の生活や部活で感じるような悩みを、有紗も言っていました」

 そんな時、洋美さんが心がけていたのは、傍で彼女の言葉にしっかり耳を傾けることだ。

「有紗が話し始めたら何をしていても作業の手を止めて、真剣に話を聞く。話を聞いて欲しいから、同意をして欲しいから話しているところもあると思うので。だから気が済むまで話をしたら、『聞いてくれてありがとう』という言葉でいつも終わるんですよ」

 娘と真剣に向き合うなかで、母は自身がやるべきと感じたことや気付いたことは、いつも最善の方法を探りながら実行してきた。

「中学3年生の時かな。富岡にイマム(・トハリ)さんというインドネシア人のコーチがいらしたんですが、有紗は中学1、2年とあまり結果を残せず、私は進路を迷っていたんです。それをイマムさんに相談したら、『有紗は世界で活躍できるから、卒業後も上を目指すべきだ』と助言をいただいて。そこでスイッチを入れ直して。実力を伸ばせる、発揮できる実業団に入れたいと思い、色々調べたり資料なんかも作ったりしました。やらないで後悔するのが嫌だから。スイッチが入って、“やる”と決めたら、猪突猛進ですね(笑)」

 そんな母のもとで、東野はメキメキと上達していく。そして、母の支えに加え、東野の背中を大きく押したのは、東京五輪でペアを組んだ渡辺勇大の存在だった。

【次ページ】 ペアを組んだ瞬間から相性抜群

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