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オリンピックPRESSBACK NUMBER
バド東野有紗の母が語る“わたがしペア”奇跡の結成秘話…震災後、福島に戻って組んだ運命の人「勇大は本当にやさしい子なんですよ」
posted2024/05/02 11:07
text by
石井宏美Hiromi Ishii
photograph by
Itaru Chiba
その日は朝から先輩たちの卒業式だった。
2011年3月11日、東北地方を中心に未曾有の被害を引き起こした東日本大震災が発生した。
福島第一原発から約10キロの場所にあった校舎で、当時中2だった東野有紗は先輩を送り出し、練習前に体育館で準備をしているところで強い揺れに見舞われた。
「職場の社長さんに『娘さんが心配だろうから帰っていいよ』と言われ、急いで学校に向かいました。道路は穴が開いていたりしてぐちゃぐちゃで、たどり着くまですごく時間がかかってしまって。多くの方々が集まっている中、大きな声で『有紗!』と叫んで必死に探しました。ようやく会えたときは、お互いに抱きしめながら大泣きでしたね」
余震がひどく、住んでいたアパートには戻れず一日中、車の中で過ごした。
さらに翌12日に原発事故が起きたため、母・洋美さんは娘を連れて故郷の北海道へ戻った。
「最初は川内村に避難したんですが原発で事故があって、ここも危ないと思って北海道に戻りました。地元に戻ってからはラケットショップのオーナーさんが有紗のためにバドミントン用品を全部揃えてくださったり、周りの方々が有紗の練習を快く受け入れてくださって。本当に感謝しかないですね」
「福島への恐怖があって悩んでいた」
再び福島に戻ったのは地震発生から約2カ月後の5月のことだった。内陸にある猪苗代中に設置されたサテライト校で練習できることになったのだ。
洋美さんは福島に戻るとすぐに心に決めていたが、「有紗は福島への恐怖があって悩んでいましたね。だから猪苗代が安全だということを伝えましたし、バドミントンで強くなるためには行くべきだよって何度も説明したんですが……」と、なかなか決められずにいたという。
そんな気持ちを変えたのは、一時期、練習に参加していた北翔大学(北海道)の女子キャプテンの言葉だった。東野に深く突き刺さった。