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「こういう道もあるんや」あのドラフトから20年…元阪神・辻本賢人35歳が手にした“本当に大切なもの”「いまの方が球も速いんちゃうかな」
text by
酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph byKiichi Matsumoto
posted2024/04/08 11:03
神戸市内でNumber Webのインタビューに応じる辻本賢人(35歳)。現在は翻訳業などに携わりながら、家族と穏やかな日々を過ごしている
常夏のハワイで夢を繋いだ。ある時、アメリカ本土でメジャーリーグのトライアウトがあると聞きつけると、呼ばれてもいないのに自費で参加し、11年2月にはニューヨーク・メッツとのマイナー契約を勝ち取った。最後は右肘を手術し、13年にユニフォームを脱いだが、もう思い残すことはなかった。
辻本は人と人が取り持つ縁の中に生き、阪神や米球界に挑戦する日々のなかで、ようやく何者かになれた気がした。
辻本賢人が野球人生で手にしたもの
彼とロングインタビューで向き合うのは8年ぶりである。2016年の秋は神戸の旧居留地にある、昭和初期に建てられた洋風建築をリノベーションしたカフェにいた。
阪神での5年間で得たものについて問うと、27歳だった彼はこう答えた。
「ケガばかりでリハビリしている思い出しかありません。そのおかげで、いろいろ身につきましたね」
自嘲交じりにつぶやく。
「何が身についたの?」
そう聞くと、おどけながら返してきた。
「ストレッチの方法(笑)。病院もめっちゃ詳しくなりました。ここが悪くなったら、この病院がいいとか……」
あれから月日を重ね、再び同じ問いを投げかけてみた。すると、35歳になった彼はこう答えた。
「タイガースでいっぱい叱られながらも愛を感じた時とか、藪さんやジェフに引きずられて野球をやった時のように、本来なら関わらなくてもいいはずなのに、関わってもらった時、人間ってこういう道もあるんやと気づかされました。多くの人に関わってもらったからこそ、僕はマイナー契約までいけて、すごい経験をさせてもらいました。だから、僕はいま、一緒に仕事をしている人には、何かをやってあげたいと思うようになりましたね」
阪神での5年間は、彼が毎日を生きていく中で少しずつ形を変えていった。8年前に見えなかったことが、いまでは見えるようになっていた。「15歳のプロ野球選手」が悩みながらも心を奮い立たせた時間は、過ぎ去った日々ではなく、20年経ったいまも彼の心に息づいている。