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箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
「気づいたら全然眠れなくなって」「誰にも言わずに病院に」駒大“最後の箱根を走れなかった”ある選手の告白…絶好調の高校時代→大学で起きたこと
text by
小堀隆司Takashi Kohori
photograph byYuki Suenaga
posted2024/02/11 11:00
この3月で駒大を卒業する白鳥哲汰。箱根路を2度走った実力派のランナーだが、大学4年間は決して順風満帆ではなかった
卒業時にはもちろん複数の大学から勧誘の声がかかったが、白鳥はこんな理由で駒大を選んだ。
「箱根駅伝も目指していた大会の一つではあるんですけど、その時から将来はマラソンをしたいという思いが強くて。自分たちが入る頃にはまだ中村匠吾さん(現富士通)がこっちで練習していて、MGCに出場する卒業生の方も多かった。それで駒澤大でやりたいなって。あとは総監督の熱意ですね」
現在は総監督として一部選手の指導をする大八木弘明氏から、白鳥は熱心に口説かれた。
いざ大学に入ると、そこは想像以上に多くの才能が集まる場所だった。1つ上の先輩に田澤廉がいて、同級生には鈴木芽吹や花尾恭輔らがいた。白鳥たちの代はその頃、こんな誓いを立てたという。
「まだ三冠とまでは言ってなかったと思いますけど、4年生になったときには絶対に箱根で優勝したいねって。これだけのメンバーが揃ったので、みんなできると思ってました」
入部当初は練習の質の高さに驚き、夏合宿でも思うように距離が踏めなかったと言うが、才能はやはり非凡だった。秋になると徐々に調子が上向きとなり、11月の競技会で5000mの自己ベストを更新、12月の10000m記録会でも28分14秒86の好タイムを叩き出し、同級生の中で一目置かれる存在となった。
1年目から箱根メンバーに抜擢も、本人の胸中は…?
1年生ながら、白鳥は箱根駅伝の1区に抜擢される。エントリーされていたのは4年生だったが、当日変更で憧れの舞台に立ったのだ。
「でも、結果的に15位と振るわない成績だったので、チームは優勝しましたけど、自分的には悔しさしか残らなかったです」
区間15位とはいえ、トップとは47秒差。チームが13年振りの総合優勝を勝ち取ったこともあり、端から見れば白鳥は大学で順調なスタートを切ったように思えた。
だが、本人はこの頃から思うようにいかないもどかしさを感じていたという。
「ほんと暑さが苦手で、夏になると練習にもついていけなくなって。逆に涼しくなると走れるようになるので、2年目も箱根のメンバーには選んでもらえたんですけど、1年を通して練習ができていないのでうまくはまらなかった。けっこう課題が残りました」