“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
“17歳でJデビューの天才”が1年で構想外…それでも中村敬斗23歳が森保Jで序列アップした理由「三笘選手がいるのに…素直に嬉しい」
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byJFA/AFLO
posted2024/01/30 17:03
アジア杯では2試合に先発した中村敬斗(右)。世代別日本代表でも共にプレーしてきた久保建英らとのコンビネーションにも期待したい
1-0で迎えた51分、自陣中央でボールをもった堂安律がドリブルで敵陣まで運ぶと、左サイドの中村にボールを預けた。ここで中村は右後方から来たボールを右足アウトサイドでボールを引き込むように足元にピタッと止め、すぐさま周囲の状況を確認した。
ベトナム戦のようにカットインしてフィニッシュにもっていけるか。ファーサイドのスペースに走り込む上田綺世にクロスを送るか。ハーフスペースに侵入する久保建英と絡むか。どの選択も可能な位置に一発でボールを置いた中村が選んだのは、自身の外側へオーバーラップを仕掛けていた堂安へのパスだった。
オフサイドに注意を払いながら、猛スピードで駆け上がる堂安のベストタイミングに合わせて丁寧に右足でパス。ボールを受けた堂安はそのまま冷静にファーサイドで待つ上田へグラウンダーのクロスを送り、貴重な追加点が生まれた。
あのシーンを中村はこう振り返る。
「あれは自分の中で複数のイメージができていました。数ある選択肢の中で、より得点につながる可能性が高い方を選択できました」
この無駄のないプレーと選択にこそ、中村の進化が表れている。
異例の飛び級Jリーグデビュー
高校時代は街クラブの雄・三菱養和SCユースでプレー。個性を尊重する指導によってイキイキとプレーしていた中村は、いつも矢印がゴールに向かう選手だった。ベトナム戦で見せたような“左斜め45度”は当時から「敬斗ゾーン」と恐れられ、衝撃的なゴールシーンを何度も目撃してきた。左サイドから中央へ深く侵入する怖さも持ち合わせ、テクニックとドリブルが長所の選手ではあったが、フィニッシャーとしての嗅覚も備えていた。常に全身を使って「俺にパスを出せ」とアピールする積極性がありながら、ゴールを決めた後は決して大喜びするわけでもなく、クールに決め込む。『スラムダンク』に登場する流川楓のようなスター性も密かに感じていた。
そんな才能は早くから開花した。街クラブの選手では異例となる高校卒業を待たずしてガンバ大阪に加入。高校3年になる直前の2018年2月24日にJリーグデビューを飾ると、同年の3月にはルヴァンカップ戦でプロ初ゴールも記録している。すぐさま海外からオファーも舞い込み、19歳の若さでオランダ・トゥエンテへと飛び立っていった。
しかし、壁にぶち当たった。