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「本当にダメな人間だった」規律違反で浦和退団後、柏木陽介がFC岐阜で得た円熟「J3はここまで過酷かって。昔なら逃げ出したかもだけど」
text by
原山裕平Yuhei Harayama
photograph byKiichi Matsumoto
posted2024/01/09 11:02
FC岐阜でキャリアを終えた柏木陽介。当地で得たもの、そして引退後に描く青写真とは
「そうですね。もちろん、考えの甘さもありましたよ。浦和の歴史の中でも長くいた選手だと思うから、きっとクラブが守ってくれるはずだって。そんなわけないんですけどね。やっぱり、自分が上手くいってない時に、どういう風に気持ちをコントロールしていくのか。ベテランの立場としてやらなければいけないことも、疎かにしてしまった。本当にいろんな人に迷惑をかけたと思うし、ダメな人間だったなって今でも思っています」
――あの件はその後のキャリアの教訓になっているのでしょうか。
「あれをきっかけにいろいろと変わることができたと思っています。アキレス腱を切った時の話でも言いましたけど、すべての出来事には意味があると思っていて。これに関しても意味があったんだなって、今となっては感じています。
実際に変われたと思っているし、それくらいのことをやってきたという自信もある。自分が岐阜に来てやらなくちゃいけないことが、明確に分かったんですよね。どういう振る舞いをすればいいのか、どういう風に経験を伝えていけばいいのか。自分がやるべきことをするために岐阜に導かれたのかなって思うくらい。 多分、そのまま浦和にいたら、僕は成長できなかったと思う。浦和しか知らない人間で終わっていたと思います」
J3はここまで過酷なのか。でも人生はいろいろと…
――J3という厳しい環境に身を置くことで、これまでとは違う考え方が生まれてきたということですか。
「浦和の時は想いが強すぎた分、視野はすごく狭くなっていました。今は本当にいろんなものを広く見られている感覚はありますね。J3がここまで過酷なところかっていうのを知れたのも大きいし、そこでプレーする選手の気持ちを知れたのも大きい。この環境に身を置くなかで、僕は岐阜を良くするために真剣に向き合ってきたという自負があります。浦和の時のようにならないために広い視野を持ちながらやってこられたことは、自分の中でも自信になっています」
――そもそも岐阜には縁もゆかりもなかったわけですよね。