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「ああ、箱根駅伝走っていないんだ」と言われて…ニューイヤー駅伝で“悲運のエース”が抱いた劣等感 国士舘大監督は「だからこそ選手に箱根を走らせたい」 

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小堀隆司

小堀隆司Takashi Kohori

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photograph byYuki Suenaga

posted2024/01/01 06:04

「ああ、箱根駅伝走っていないんだ」と言われて…ニューイヤー駅伝で“悲運のエース”が抱いた劣等感 国士舘大監督は「だからこそ選手に箱根を走らせたい」<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

現在は国士舘大学陸上部の監督を務める小川博之。学連選抜がなかった当時、箱根駅伝に縁がなく“悲運のエース”と呼ばれた

「それは私も耳にしたことがあります。ちょうどあの頃、箱根に出場できない大学に強い選手が集まっていて、ユニバーシアードの代表にも京産大の選手が入ってました。もう一人、鹿屋体育大に永田(宏一郎)って強い選手がいて、確か出雲駅伝で2年連続区間賞を取っているんです。もし全日本選抜チームを作って、この3人を1区から並べたら面白いんじゃないかって。独走していたかもしれないですからね」

ああ、箱根駅伝走っていないんだ

 大学卒業後は、日清食品グループに就職。エリートランナーが集まる名門だが、小川はこのとき辛い経験をしたという。箱根の影響力の強さを思い知った瞬間だった。

「例えばニューイヤー駅伝の出場選手として紹介してもらうときでも、箱根を走った、走っていないで反応が違うんですね。『ああ、走っていないんだ』みたいに言われて、すごく下に見られる感じがありました。だからこそ今の子たちには箱根を走らせてあげたい。予選落ちをさせてはいけないと思うんです」

 日清食品で活躍した後、JALグランドサービス、八千代工業と3つの実業団チームを渡り歩き、34歳まで現役を続けた。2010年から12年までの3年間は母校でコーチを務め、ランナーとコーチ業の二足のわらじを履いていた時代もある。

選手たちを羨ましいと思う気持ちもありました

 国士舘大は2012年に3年振りの本戦復帰。実質、チームを率いていた小川は運営管理車に乗り込み、コーチという立場ながら初めて箱根駅伝に出場した。

 正直なところ、心境は複雑だったと話す。

【次ページ】 “監督”として走った第88回箱根駅伝

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