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ボクシングPRESSBACK NUMBER
井上尚弥とのスパーリングは「DNAに刻まれるヤバさ」…勅使河原弘晶33歳が振り返る、怪物との殴り合い「僕は尚弥選手と絶対に試合をすると思っていた」
text by
渋谷淳Jun Shibuya
photograph byTakuya Sugiyama
posted2023/12/25 11:02
井上尚弥のスパーリング相手を2度務めた勅使河原弘晶が自身のボクシング人生と怪物との「殴り合い」を語る
「尚弥選手が強いのは知ってましたけど、僕だって『ダウンくらい奪ってやろう』という意気込みでスパーリングに挑んだんです。でも、結果は何もできなかった。最後の4ラウンド目にガードの上から左フックをもらって、足が生まれたての子鹿みたいになるくらい効いちゃったんです。何とか発狂するように奇声を上げて向かっていって、ギリ倒れずに終わったという内容でした」
井上とスパーリングをして壊されたパートナーがたくさんいる。ウワサには聞いていた。実際に向かい合って、1階級下だった井上のレベルの高さに驚愕した。
足が地面からはえてるんじゃないか
「足が地面からはえてるんじゃないかと思うくらい土台がしっかりしていて、その状態から打ち込まれるので、こっちが宙に浮いちゃうというか、ラウンドを追うごとに何もできなくなっていくんです。大橋秀行会長から『またお願いしたい』と言ってもらったんですけど、帰りの車内で体が交通事故にあったみたいにむち打ちが酷くて。トレーナーと相談して『ダメージがひどすぎるのでやめておこう』ということになりました」
2度目はないと思われたが、19年に再び声がかかった。トレーナーは断ってもいいという雰囲気だったが、勅使河原は「やりたいです」とパートナーを志願した。最初の手合わせから2年、勅使河原はクラスを上げて東洋太平洋スーパーバンタム級王座に就き、世界挑戦が見え始めていた。バンタム級に進出して3階級制覇を成し遂げ、なお無類の強さを誇る井上を相手に、自分の力がどこまで通用するのかを確かめたい気持ちもあった。ところが……。
「倒されはしませんでしたけど、1回目と同じでボコボコにされたんですよね。そのあとスランプになって、理由が分からなかった。なぜなんだろうと考えた末にたどりついたのが、尚弥選手とのスパーリングだったんです。なんて言うか、僕のDNAに刻まれるくらいのヤバさを味わった。実際に対峙して、殴り合って、僕の体に異変が起きた。そういう捉え方をしました」
井上と試合をして1億円を稼ごうな
勅使河原は19歳でゼロからボクシングをはじめ、人生のすべてを世界チャンピオンになることに捧げていた。同時に近い階級で圧倒的な輝きを放つ井上尚弥という存在も、強く意識するようになっていた。