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「立浪監督も母子家庭だと…」中日のドラ1右腕・草加勝が明かした思い…大野、柳に続く“エースの系譜”「女手一つで3人の子を育てた母のために」
text by
渋谷真Makoto Shibutani
photograph byJIJI PRESS
posted2023/12/17 11:00
立浪監督(左)の期待を背負う亜大の右腕・草加
公式戦登板がわずか1試合(1イニング)だけだった草加が、突如頭角を現したのが3年生だった昨年の秋季リーグだった。7試合、計31回3分の1を投げ、たったの1失点。まずはリリーフで結果を残した草加の運命を変えたのは、9月19日の中央大戦(ZOZOマリン)だった。初先発で初勝利。しかもわずか3安打の完封で飾った。シーズン防御率0.29で最優秀防御率と敢闘賞に輝き、スカウトもその名を知らなかった右腕は、一躍翌年のドラフト候補に浮上した。
「きっかけは監督さんにフォームを指導していただいて、少しリリースポイントを下げたことでした。そこから球が良くなったのが自分でもわかったので」
生田勉前監督のアドバイスで、オーバースローからスリークォーターに変更したのは2年生の夏だった。それまでくすぶっていた右腕は、急激に成長していった。4年時には18番をつけ、春季リーグで東都タイ記録となる4完封をマーク。今度は1位候補に浮上した。今や希少種となった先発完投型の草加だが、14番はいわば覚醒の原点ともいえる思い出の背番号なのだ。
OBの今中からは背番号を、そして現役の先輩エース格たちからはプロ野球選手としての責任と使命も受け継ぐはずだ。姉と兄がいる末っ子。「物心がついたころには」両親が離婚し、3人は母・明美さんが育て上げた。高校(創志学園)、大学ともに寮生活で親元を離れていたとはいえ、いつも母親には支えてもらっていたという。
女手一つで育てた母のために…
ドラゴンズには大野雄大、柳裕也という先発の柱がいるが、2人ともシングルマザーに育ててもらった。中学時代は学校の軟式野球部でプレーした大野は「本当はクラブチーム(硬式)でやりたかったけど、月謝のことを考えると言い出せなかった」と振り返り、授業料免除の特待生ではなかった大学(佛教大)時代も自らアルバイトに精を出し学費を捻出した。