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藤井聡太八冠誕生、「観る将」が流行語に…“将棋の伝え方”はどう変わった? 野月浩貴八段が語る進化の歴史「米長会長とたくさん喧嘩を(笑)」
text by
いしかわごうGo Ishikawa
photograph byShiro Miyake
posted2023/12/07 11:02
黎明期から将棋のネット中継・配信に携わってきた野月浩貴八段。「観る将」が流行語となるまでには、さまざまな苦労や試行錯誤があった
対局中にどちらが有利なのか。次の候補手は何なのか。将棋プログラムを活用し、初心者にもわかりやすい状況説明を画面に提示し始めたのもニコ生である。独自企画も展開し、特に棋士がコンピューターソフトと対局する電王戦は、回を追うごとに大きな盛り上がりを見せた。
電王戦終了とともに、将棋界で8つ目のタイトル戦に昇格した「叡王戦」も生まれるなど、その功績は大きかった。現在はABEMAの将棋チャンネルが将棋観戦コンテンツの中核を担っているが、礎を築いたのはニコ生だと言えるだろう。
“解説名人”木村一基と語り合った若き日
そしてもう一つ、忘れてはいけないことがある。
棋士たちも、ファンに将棋の魅力を伝える努力を続けてきた、ということだ。「観る将」がここまで増加した背景として、ネット中継によってコンテンツが増えたこともあるが、棋士の「伝える技術」が上がった影響も大きい。
一昔前のネット中継がない時代は、棋士側も「ファンに伝える」という意識をあまり持っていなかった。棋士は将棋を指すのが仕事であり、話すことは本業ではないからだ。当然ではあるのだが、かつての野月はそうした風潮に不満を持っていたのだという。
「修業時代や若手時代、現地の大盤解説の手伝いに行った際には、当時の若手同士で色々と話し合っていました。同い年の木村(木村一基九段)とよく反省会と称して、先輩棋士たちの解説を見ながら『もっとうまく伝えられるんじゃないか』と改善策を考えたりもして……。自分たちよりちょっと上の世代(羽生世代)が勝ちまくっていた影響もあって、僕らは下積みが長かったので」
こうした経験から、野月は将棋を伝える作業にも力を入れてきた。名前が出てきた木村も名解説者として人気が高いが、このエピソードを聞くと「なるほど」と腑に落ちる。野月自身は裏方として積極的に後輩棋士たちにアドバイスしており、こうした姿勢は若手たちにも受け継がれている。
「よく話しているんですけど、取材に来るメディアや、解説で出るメディアによって解説の仕方を変えなきゃいけないよ、と。例えば囲碁・将棋チャンネルというCSの専門チャンネルは、将棋に詳しい人がメインの視聴者層です。そういう場では一歩踏み込んだマニアックな解説をするべきだし、対してNHK杯将棋トーナメントだとライトな層も見ている。ABEMAやニコ生も、年齢層も含めてそれぞれ見ている層が違うんですね。だから、それぞれにどんな視聴者がいるのかを意識した上で、解説の準備をしてもらう。昔に比べて、そこは徹底されていると思います」